江戸時代における本当の改革
わずか600石から事実上の最高権力者にまで上り詰めたため、周囲の反感を買いやすかったのと同時に、自身の手足となる子飼いの家臣団が不足したことも、周囲のあつれきを解消できなかったことの理由だったと思われる。
だが、そもそも、「農本主義から重商主義へ」と評される意次の改革が、先進的すぎて理解されなかったことが大きく影響した。その後、吉宗の孫にあたる白河藩主、松平定信が緊縮型の改革を進め、思想や文化に対しては徹底して統制する姿勢で臨んだ。
このため、もしかしたら鎖国をしながらでも日本に定着させられたかもしれない、欧米にも通じる「重商主義」の芽は、すっかり摘まれてしまった。同時に、蔦屋重三郎らがあたらしい文化を世に問う自由も奪われてしまった。
享保の改革、寛政の改革、天保の改革が江戸時代の三大改革とされるが、それらはいずれも「改革」と呼ぶにしては「反動」に近い。江戸時代における本当の改革、持続可能な経済や社会の体制を築けたかもしれない構造改革は、頓挫したとはいえ田沼意次による改革だったのではないか。
そのあたりをぜひ、「べらぼう」で実感してほしいと思っている。