年明けの初売りを行う百貨店や量販店では、福袋を求める客で行列ができる。いったいどんな人たちが並んでいるのか。1994年7月に刊行された同名書籍を新装復刊した、ナンシー関『信仰の現場』(星海社新書)より紹介する――。(第3回)
福袋は「何が入っているかわからない」からいい
註:記事の内容は、執筆当時のものですので、現在の情報と異なる場合があります。
テーマは「福袋」である。正月の初売りに庶民を熱狂させた、あの「福袋」だ。
2年ほど前から、正月のたびに「福袋騒動」を(買いはしないが)チェックしていた私は「東急百貨店・渋谷本店」に狙いを定めた。
初売りのデパートでは、店内あちこちでいろんな福袋が客を待ちかまえている。各階・各売り場(場合によっては各ブランド)が、それぞれに福袋を用意するからである。この細分化は、ある程度中身の統一性を読むことができるということであり、グッチもどきの親父用ベルトからクマさんの顔のついたスリッパまで同じ袋に入っている危険性のある「総合的福袋」より安全といえる。
しかし、それでは「福袋」のダイナミズムが台無しである。「何が入っているかわからない」からこそ「もしかしたら、すんごいものが……」という幻想も持てるわけである。そこで「東急本店」なのだ。
東急では、各売り場・各ショップの福袋とは別に、「東急の」福袋を毎年売り出している。ま、「超総合福袋」と言っていい。何が入っているか全くわからない。しかし、抜群の射幸性の高さであるとの「伝説」があるのである。
東急の福袋には「目録」が混入されている。その目録には「袋には入り切れないもの」が記入されているのだ。これこそまさに庶民が夢に描く「もしかしたら、すごくいいもの」に他ならない。真偽のほどは確かではないが、「33インチのテレビ」「車」「ダイニングセット(テーブルと椅子)」などが当った(いずれも1万円の福袋)という伝説もある。人の心の中にある「福袋」という概念を、最もよく体現しているのが「東急の福袋」である、というわけである。