社会から逃げたはずの場所で“社会”ができた
当時は会社の規模が大きくなり、関わる人や会議とともに経営のストレスが増えていた頃。社長として挨拶をしなければいけない全社会議の直前にもパニックになった。同じような症状が起きるたび、仲間には「お腹が痛くなった」などと言って誤魔化した。
中村さんによると、躁うつ病では、躁とうつの間の混合期や、躁が行き過ぎたときなどにパニック症状が出ることがあるという。そんなことなど知らない当時の中村さんは、「パニック障害なのかな」とも考えたが、周りには言えなかったし、言ってはいけないような気がした。
同じ頃、長野の倉庫スタッフの一人が会社を辞めることになる。それまでもやむを得ない事情で離れていくメンバーはいたけれど、その人は「自分が会社のなかで活躍できているかわからない」と悩んだ末に辞めていった。
元々友達同士で始めた会社ということもあり、最初は組織らしいルールや序列はなかった。ところが次第に人数が増えていくと、どこからともなくマネジメント体制や評価制度が持ち込まれ、自分自身も含め、居心地の悪さを感じる人がでてきてしまっていた。
社会から逃げて自分たちの居場所をつくったつもりが、いつのまにか自分たちの会社自体が社会性を持つようになっていたのだ。
「やりがい」のために「捨てられる本」と向き合う
倉庫スタッフの離職がショックだった中村さんは、「働く人のやりがい」について考えるようになる。答えを求めて読んだ本には「褒めて育てる」というアドバイスがあったが、働いてほしいからと無理に褒めることには躊躇があった。
「働く人にとって大事な人に褒められたら、その人はこの会社でやりがいを感じるんじゃないか」そう考えて2009年に発案したのが、「ブックギフト」プロジェクトだ。
実は、古本の買い取りを始めて以来、じわじわと中村さんの中で大きくなっていた課題があった。それは、破棄せざるを得ない本の存在。状態がよくても需要に対して出品数が多すぎると値段がつかない。そういった「捨てる本」は当初から半数ほどあったが、買い取り数が増えるとその絶対数は大きくなる。2009年当時、買い取り希望の本は1日約1000冊。このうち半数の500冊が「捨てる本」となり、中村さんの中で罪悪感が膨れ上がっていた。
「例えばハリー・ポッターもそういう状態だったんですけど、小学校に寄付したら喜んで読まれるんですよ。捨てなきゃいけないっていうことが、ある意味で説明がつかない状態になっているんです」
「儲かるためにいいことをしよう」
「ブックギフト」は、このようないわば「捨てる本」を、地域の老人ホームや保育園に寄付することで、働く人のやりがいにつなげようというプロジェクト。
地域にもスタッフにも好評だったが、すぐに次なる課題にぶち当たる。本業で忙しくなると、売り上げに繋がらないブックギフトの優先度が下がってしまうのだ。当時の従業員はまだ20名程度。小さな企業の中で、売り上げにつながらない事業を続けることは難しかった。
「社会的にいいことでも、本業に組み込んでいかないと、自分たちみたいに小さい会社はあっという間にできなくなっていくと思ったんです」