「好きもの」と言われた紫式部は…
『紫式部日記』は、四つの部分から構成されている。最初が彰子の出産など道長家の晴れの出来事を記す寛弘5(1008)年から同6年にかけての記録、次は有名な清少納言批判などを記すエッセイ、それに続いて年次を記さない短い記事群があって、最後には寛弘7(1010)年の道長家の記録が置かれている。
問題の箇所は三つ目の「年次不明記事群」にあり、道長らしき人による「局訪問事件」はその末尾に記されている。ただ、そこにはこの訪問者が道長であるとは記していない。推理するためには直前の記事から読み始める必要がある。
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