3本の源泉をブレンド
「向瀧」に滞在中、渡部恒三はもっぱら「きつね湯」に入っていた。「きつね湯」はタイルを組み合わせた床で、天井には湯気を吸いこむ国産石が使われている。ナトリウムとカルシウムを多く含むお湯は美しく生き生きとしている。
「向瀧」は57度から52度程の3本の源泉を保有する。その日の気温や気候により、源泉温度が異なるため、湯守である番頭がバルブを調節し、3本の源泉をブレンドする。源泉から長い配管をくぐらせて、「きつね湯」には常時45度ほどの湯が溜まるようにする。それが湯守の腕の見せどころ。
「熱くても、決して水で薄めない」という、こだわりを貫く「向瀧」は、会津藩から受け継いだという誇りを持って、本物の温泉を提供している。
毎年、会津東山温泉「向瀧」の庭には見事な桜が咲く。
昭和の頃は、温泉地の名旅館の主はその土地の名士であり、経済的にも恵まれていた。だから作家や芸術家を支援するという土壌があった。同時に、「向瀧」と渡部恒三の関係のように、政治家のスポンサー的な役割を務める宿も少なくなかった。
歴史を繋いできた名旅館には、往来した人々との交流が物語として積み重なる。その厚みが、旅館の風格として滲み出るのだ。