俺のポケットに札束をぎゅっと入れて…
私はかつて渡部恒三にインタビューしたことがある。自宅の応接室には、国会前で田中角栄と握手をする写真が飾られていた。嬉々とした笑みを浮かべる渡部恒三の様子から、田中角栄を兄貴分のように慕っていたことが伝わってくる。
それを見てつい、「私も越後の長岡で生まれ育ちました」と洩らすと、渡部恒三は「君は長岡の人かい、僕は厚生会館に何度も応援に行ったよ。『越後には尊敬する人は三人いる。河合継之助、山本五十六、田中角栄』と言うと、角さんが喜んでね」と、タバコをくゆらせながら遠くを見た。
長岡の厚生会館とは、もう現存しないが、田中角栄が数々の名演説を行った場所であり、長岡生まれの私にとって馴染みが深い。そんな思い出を共有したせいか、渡部恒三は田中角栄との交遊録を自慢げに話してくれた。
「田中角栄っていうのは人を使う天才だった。封筒をパッと破って、俺のポケットに100万円の束をぎゅっと入れて、『あって邪魔になるわけじゃないから』とかね」といった裏話が矢継ぎ早に出てくる。
宿で角栄と話した内容
現在の感覚では褒められた振る舞いではないが、田中角栄という昭和の政治家の豪胆さを物語るエピソードとして興味深い。
なぜ、昭和47年に田中角栄を「向瀧」に連れて行ったのか。
「東山温泉と言えば『向瀧』。会津の者が、『いずれ偉くなって、向瀧に泊まれるようになりたい』と思う旅館なんだよ。会津田島(現・南会津町)の出身の僕もそうだった。だから角さんを連れてきたんだ」
「はなれ」で、田中角栄と何を語ったのかを聞くと、
「そりゃ、越後の角さんと会津の僕だもの。『白虎隊は素晴らしいね』と話したよ」
会津と長岡の盟友ぶりに話が弾んだ後には、こんな武勇伝も。
「当時、会津東山温泉に200人もいた華やかな時代の話もした。そうそう、俺が東山温泉で、男として最初の一歩を踏み出したんだって、話したね。
角さんはね、『こんなにいい宿はない。素晴らしい』と喜んでくれましたよ」
と、まるで「向瀧」が自分の宿であるかごとくに誇らしげだった。