国内で出版される書籍は年約7万点弱。1日あたりおよそ200点。ヒット作を出すのが容易ではない中、著者はどのように収入を得ているのか。作家の本田健さんは「夢の印税生活に憧れる人は多いでしょうが、現実はそんなに甘くはありません。ベストセラー本を出す作家や書き手もいますが、残念ながら、本はそんなに売れるものではありません」という――。

※本稿は、本田健『作家とお金』(きずな出版)の一部を再編集したものです。

紙とペン
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文豪、夏目漱石のぼやき、川端康成の願い

「文豪」と呼ばれる人たちがいます。作家にとっては、その頂点にいるような人たちですが、そんな頂点に立つ人たちでも、お金に困った時期があったのは、驚きです。

というより、逆の言い方をするなら、お金に困ったことがない作家などいないのではないかと思うほどです。

文豪といえば、その筆頭に誰もが思い浮かべるのが、夏目漱石ではないでしょうか。

その文豪、夏目漱石が、自分の生活についてぼやく一文をのこしています。

「私が巨万の富をたくわえたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金をもうけてるとか、種々しゅしゅうわさが世間にあるようだが、皆うそだ。巨万の富を蓄えたなら、第一こんなきたない家に入って居はしない。土地家屋などはどんな手続きで買うものか、それさえ知らない。この家だって自分の家では無い。借家である。月々家賃を払って居るのである。世間の噂とうものは無責任なものだと思う。」(夏目漱石「文士の生活」、左右社編集部編『お金本』左右社刊)

夏目漱石が「文士の生活」として書いたものですが、それには、こんなことも書かれていました。

「私はもっと明るい家が好きだ。もっと奇麗な家にも住みたい。私の書斎の壁は落ちてるし、天井は雨りのシミがあって、随分穢いが、別に天井を見て行ってれる人もないから、此儘ままにして置く。何しろ畳の無いいたきである。板の間から風が吹き込んで冬などはたまらぬ。光線の工合ぐあいも悪い。此上に坐って読んだり書いたりするのはつらいが、気にし出すと切りが無いから、かまわずに置く。此間る人が来て、天井を張る紙を上げましょうと云って呉れたが、御免ごめんこうむった。別に私がこんな家が好きで、こんな暗い、穢い家に住んで居るのではない。余儀よぎなくされて居るまでである。」

この文章は、下積み時代ではなく、すでに『吾輩は猫である』も出版されてベストセラーとなり、その印税が入った後に書かれています。「文豪」のイメージとは程遠い生活が想像できますが、それだけに親近感も湧いてきますね。

余儀なく「穢い家」に住んでいても、それをうらんだりしているわけでもない。「文士」として、余儀なく、というのは、つまり選んで生きていると私には思えます。作家たちのお金にまつわる文章を集めた左右社編集部編の『お金本』は、作家という人たちの暮らし、現実を知るうえで興味深い本ですが、そこには、もう一人の文豪、川端康成が、「私の生活」として、10の「希望」をあげています。

その7番目の希望として、「原稿料ではなく、印税で暮せるやうになりたいと思ひます。せめて月末には困らないやうに――」とあります。これが書かれたのは昭和4(1929)年11月、『伊豆の踊子』が出版されたのは1926年、「東京朝日新聞」の連載がスタートしたのは1929年12月です。作家としては、まだまだ経済的に安定するというまでになっていません。

それにしても、後にノーベル文学賞を受賞することになる人も、「夢の印税生活」を夢見ていたのかと思うと、人の運命というのは面白いものですね。