ふたつの「60年間」の大きな違い
ライト兄弟が空を飛んでからニール・アームストロング(*2)らが月面に降り立つまでの60年と、アームストロングらが月面に降り立ってから現在までの60年では、表記のうえでは同じ60年でもその変化の質的スケールは比較にならない。もちろん後者の60年も人間社会は進歩と発展を遂げてきたことはまぎれもない事実であり、新しい発明やイノベーションが登場しなかったと言っているわけではないことは明確に断っておく。
だが空や宇宙といった未知の領域にまで人類の版図を広げるような、ホモ・サピエンスが数十万年ともに歩んできた既成概念を覆す画期的変革はそれほど起こっていない。人の世にすさまじい変化をもたらした前者の60年間で生み出されたさまざまなイノベーションをブラッシュアップして、それを発展的に改良・改善・改築することには成功したかもしれないが、しかしそれまでだ。
言い換えれば、人間の創造性や知的能力が人間社会にとってそれほど大きなインパクトを持たなくなってきているということでもある。
(*2)ニール・アームストロング(1930~2012) アメリカ海軍飛行士を経て宇宙飛行士。1966年にジェミニ8号でアメリカ初の有人宇宙船でのドッキングを行う。1969年にはアポロ11号の艦長を務め、世界初となる月面探索を成功させた。
「秀才」レベルではイノベーションに貢献できなくなった
人間の知性によってもたらされる技術進歩が「頭打ち」に達してしまったと断言するのは時期尚早かもしれないが、しかしその進歩の絶対的な速度は遅くなってはいる。
そのせいで、かつてなら人間社会の爆発的な進歩やイノベーションのうねりに参加しそれなりに貢献できていた秀才たち――とびぬけた天才というほどでもないが人並み以上には知的に優秀な者たち――は、そうした大局的な流れに参加できなくなった。知性で世の中に貢献することの相対的な難度が急激に上昇していったのだ。
そこそこの秀才がうねりに参加するのが困難になったその結果として、世の中になにが起こったか?
かれらは持て余したその知的能力を、ある種の既得権の形成や、あるいは既存のシステムから合法的にリソースを掠め取るような方向で利活用するようになってきている。世の中に変革をもたらしうる新しいものを生み出すために使うのではなく、すでにあるものからより多くの分け前を得るためにこそ、その優秀な頭脳を用いるようになっている。システムをひたすら複雑化させて、カネを右から左に動かしていく過程でお金を抜き取ったり、抜き取っているのがバレないような巧妙なスキームを考案したりと、そういったことに多くの心血を注ぐようになっている。