「父を敵にし、弟を殺した」は本当か

『角川新版日本史辞典』には「山形城を本拠とし、対立する一族・国人を滅ぼして戦国大名に成長」と記述されているが、要は、それが具体的にどういう成長ぶりだったのか、である。

最上家は代々、室町幕府から出羽国を統括する羽州探題を任されていたが、次第に衰退して、伊達家に従属するようになった。だが、天文11年(1542)から続いた伊達家の内乱(天文の乱)に乗じて独立を回復し、周囲の国人らと同盟を結んで勢力を伸ばした。そのころ最上家10代、義守の長男として生まれたのが最上義光だった。