空前絶後の土木工事
家康が動いたのは、慶長8年(1603)の征夷大将軍就任後だった。翌慶長9年(1604)、西国の29大名に命じて、城の中核となる本丸、二の丸、三の丸、北の丸のほか、溜池から雉子橋までの外郭を築かせた。このとき神田山を切り崩し、いまの新橋近辺から大手町あたりまで入り込んでいた日比谷入江を埋め立て、土地を創出している。
また、遅れて東北や関東、信州などの大名も駆り出され、慶長16年(1611)までに、現在は皇居の宮殿が建つ西の丸や吹上が整備された。この第1次天下普請で江戸城の骨格が整った。
家康の存命中に行われたのは、慶長19年(1614)の第2次天下普請までで、そのとき本丸から三の丸にかけての石垣が大規模に修築され、ほぼ今日見るような姿になった。ほかに西の丸を囲む堀が拡張され、現在は皇居外苑となっている西の丸下の石垣が整えられ、半蔵門から外桜田門までの幅100メートルを超える堀も、このとき整備された。
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