争いの火種がくすぶり始めた時代

ここで、二人の書簡が書かれた1932年という年に注目してみましょう。

この年は世界全体を未曽有の悲劇に巻き込んだ第一次世界大戦の終結から10年以上が経っていましたが、悲劇の記憶はまだ世界の多くの人々の記憶のなかにありました。この年、日本では満州国が成立し、上海事変や5.15事件が起きています。

世界に目を向ければ、1929年に起きた世界大恐慌の傷跡がいたるところにまだ残り、民族主義的、ファシズム的な動きが世界中で見られていました。1年後には、ファシズムの力の勝利を象徴するナチス党のヒトラーがドイツの政権を奪取しています。

こうした歴史的流れによって、人々の戦争への不安は高まっていました。1932年は、第一次世界大戦のような悲劇が繰り返されないためにはどうすればいいのか、そのことが、世界の多くの人々によって真剣に議論された年でもあったのです。

死の欲動が人間を戦争へと駆り立てる

アインシュタインの問いに対してフロイトは、人間には二つの欲動があると述べています。

一つはエロス的な「生の欲動」であり、もう一つは破壊し殺害しようとする「死の欲動」です。そして、フロイトはこの絶対的に対立しているように思われる二つの欲動は、相互補完的に機能する場合が多いと指摘します。

さらに、人間を戦争に駆り立てるものの根本には、この死の欲動がある点を強調し、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうもない」と述べたのです。

この点をふまえて、フロイトは意見を展開していきます。

人間は、指導者と従属する者に分かれます。(……)圧倒的大多数は、指導者に従う側の人間です。彼らには、決定を下してくれる指導者が必要なのです。そうした指導者に彼らはほとんどの場合、全面的に従います。(『ひとはなぜ戦争をするのか』)

そして、戦争を防ぐためには何をする必要があるかを述べます。

優れた指導層をつくるための努力をこれまで以上に重ねていかねばならないのです。自分の力で考え、威嚇にもひるまず、真実を求めて格闘する人間、自立できない人間を導く人間、そうした人たちを教育するために、多大な努力を払わねばなりません。(前掲書)

フロイトは、この方法しか存在しないと断言しています。