なぜ人間は戦争へと駆り立てられるのか。作家の佐藤優さんは「大衆が戦争を煽るとよくいわれるが、実は違う。アインシュタインは『教養のない人』よりも『知識人』と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすい、と指摘している」という――。

※本稿は、佐藤優『佐藤優の特別講義 戦争と有事』(Gakken)の一部を再編集したものです。

ピッチ上で戦う代理戦争のイメージ
写真=iStock.com/komta
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トランプを大統領に選んでしまう大衆

なぜ、人は戦争を行うのか。

なぜ、民族や宗教などを異にする人々に対して、暴力で蹂躙し、命まで奪うのか。

そうした根源的な問題を、最初に考察してみたいと思います。

スペインの思想家オルテガは古典的名著ともいえる『大衆の反逆』で、「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は『すべての人』と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである」と喝破かっぱし、「自分の意思を持たない人々=大衆」を問題視しました。

自分の政治的意見がない大衆は、他人の意見や流行にすぐになびき、気分のよくなることを言ってくれる候補者を選挙で選んでしまいます。近年、トランプの登場以来、政治におけるポピュリズムの問題がマスコミでも大きく取り上げられていますが、この「大衆迎合による権力奪取」という構図はずっと以前から存在していました。

真に問題なのは、いわゆる「知識人」

その最も有名な例が、ワイマール体制下のドイツにおけるヒトラーの登場です。大衆の望む“雇用の確保”と“強大なドイツ帝国の復活”を公約として、ヒトラーは大衆の支持を広めていき、選挙で勝利した後に独裁者となりました。

こうしたことが実際に起きてしまう要因には、たしかにオルテガがいう大衆の「責任感の欠如」もあることでしょう。しかし真に問題なのは、実は大衆よりも、知識人の無責任のほうなのです。

いわゆる知識人は、自分の専門分野以外のところに関与するとき、もうほとんどのケースがそうだといってもいいほど、大衆の発想で動いてしまいます。オルテガは、そうした専門外でも尊大にふるまう知識人に対して、こう述べています。

文明が彼を専門家に仕上げた時、彼を自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間にしてしまったのである。しかしこの自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門以外の分野においても支配権をふるいたいという願望にかりたてることとなろう。

かくして、特別な資質をもった最高の実例――専門家――、したがって、大衆人とはまったく逆であるはずのこの実例においてすら、彼は生のあらゆる分野において、なんの資格ももたずに大衆人のごとくふるまうという結果になるのである。(『大衆の反逆』)