戦争を先導しているのはつねに知識人

大衆は戦争を煽るとよくいわれます。たしかに、ヒトラーやムッソリーニのファシスト政権を実現させたのは、大衆の責任といえます。しかし、大衆には自らが自発的に考え、行動していくというデカルト的な近代的エゴが希薄であるので、大衆自身が戦争を煽っているというのは正確な見方ではありません。

アインシュタインは往復書簡の中で、次のように述べています。

私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。

なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。(前掲書)

ここでは、戦争を煽っているのは知識人であり、知識人たちのほうがさまざまな扇動に最も踊らされやすいという点が、明確に示されています。

なぜ専門家は専門外まで口を出すのか

こうした状況は1930年代だけの話ではありません。私たちの周りを見渡せば、いかに現在の状況と酷似しているかが理解できます。現在の社会の様相をつぶさに見てみると、知識人が社会的アイデンティティの分断を見つけ出し、それを商売にしているありさまがわかります。ジェンダー問題や、LGBTQ+の問題の中にも、そうした要素は存在しています。

そもそも一般大衆は、普通の人ではわからない専門性の高い個々のことを、学者や大学教授、あるいはワイドショーのコメンテーターの言説に頼る傾向があります。

大学の教授でも、自分の専門分野でないことにまで公的にコメントしている様子がたびたびテレビに映し出されます。

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たとえば、NATOの専門家がロシア・ウクライナ戦争のことについてコメントする。芸能人のスキャンダルについて感想を述べるのと同じレベルで、専門家でもない人間がウクライナについてコメントしている姿を、私たちは日常的に目にします。本来、地域分析は、その地域の言語(ここではロシア語とウクライナ語)を習得した人でないと正しい分析ができないはずなのに。