大川奈々さんの「家庭のタブー」

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

奈々さんの両親も「短絡的思考」の持ち主だった。父親は、自分の母親に「中国人だから」というだけで交際を反対され、言われるままに中国人女性と別れ、母親とお見合いし、相手をよく知らないうちに結婚。母親は、父親とお見合いするまでに少なくとも3回はお見合いをしていたにも関わらず、「公務員だから」「収入が安定しているから」という上辺だけの理由でさっさと結婚を決めてしまっている。

奈々さんが生まれるまで5年ほどあったため、その間に離婚する選択もできたはずだが、妊娠・出産。結果、奈々さんが物心つかないうちから面前で激しい夫婦喧嘩を繰り広げ、おそらく奈々さんの精神に何らかの影響を及ぼすに至っている。

さらに両親には、奈々さんが知る限り、親しい友だちがいなかった。父親は職場では猫を被っていたようだが、客や患者の立場になると、カスタマーハラスメントを働く常習犯。母親もカスハラこそしなかったが、悩みを相談できるような心許せる友だちがいなかった。

その上、父親も母親も、それぞれの親との関係が良好とは言えなかった。母親の父親(奈々さんの祖父)は職を転々とし、収入が安定せず、母親の母親(奈々さんの祖母)は看護師として家計を支えていた。だが気が強くヒステリックなところがあり、夫婦喧嘩が絶えず、母親が12歳頃に離婚している。

一方父親も、十分に両親から愛されて育ったと思えない生い立ちだった。貧しい農家に生まれた父親は現在70代だが、その時代にしては珍しく一人っ子。農作業で忙しい両親にはあまりかまわれることもなく、寂しい幼少期を過ごしたようだ。

窓の後ろにいる女の子
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現在、90代の自分の母親と実家暮らしているにもかかわらず、母屋と離れで別々に暮らしている様子から、貧しさが理由なだけではない親子関係のこじれが窺える。

父親も母親も、社会とのつながりが細く、ほとんど断絶していた。

父親は母親を罵倒し、母親は父親を軽蔑。奈々さんが小3〜4の頃にはすでに、「うちの父がヤバい奴だということは、周囲にバレてはいけない」という空気が家の中にあったという。その空気はおそらく母親が醸成したものに他ならないが、まさに「家庭のタブー」だ。そして奈々さんは、父親を殺したいくらい憎み、「父が死んでからようやく、私の人生が始まる」と考えている。それは「羞恥心」をゆうに超えた「憎悪」ではないか。