人のいない鳥取砂丘が好きだった

子どもの頃の心象風景はどういうものですか、とよく聞かれます。やはり、景色としては鳥取砂丘ですね。中学の頃は、学校から帰ると自転車をこいで毎日のように砂丘まで行っていました。自転車で30分くらいですからそんなに近かったわけではありませんが、なにか強い思い入れがありました。郷土の誇りみたいなものもあった。

人がわらわらいるゴールデンウイークとか夏休みとか、観光シーズンの砂丘は好きではなくて、夏の終わりから秋のはじめ、人がいない時の砂丘が好きでした。何とも言えない寂寞感があって、見ていると、自分とは何か、生きるとは何か、人間とは何だろう、とつい哲学的な境地になってしまう、そんな記憶があります。

鳥取砂丘
写真=iStock.com/KOICHIRO SAKURAGI
※写真はイメージです

生徒会規則を振りかざして「ますます嫌われた」

政治への関心は、いつ頃芽生えたんでしょうね。おそらく、かなり早い時期から社会の出来事には関心を持っていたような気がします。それなりに勉強はできたし、知事の子どもだということを皆知っているし、学級委員長とか児童会長とかもやっていました。

ただ、中学2年の時に生徒会の副会長(会長は3年生)に立候補した時は、落選しました。当時は70年安保闘争、まだ学生運動が盛んな時代で、反権力的であることが格好いいという風潮がありました。知事という権力者のせがれということで疎まれたということもあったのかもしれません。

そこで別に居直ったわけではないのですが、風紀委員長というものになりました。これは志願した記憶はないので、割り当てだったんでしょうね。遅刻してはいけませんとか、下校時刻は守りましょうとか、ビシバシ取り締まる。それで横暴だとか言われると、クラスに乗り込んで行って、生徒会規則の条項を挙げて、こういう規則に違反するんだと滔々と述べる。ますます嫌われましたね。

子どもの頃から本を読むのは好きでした。家にあったせいでしょう。中学生の頃から『文藝春秋』や『諸君!』を読み始め、高校になっても読み続けました。