「モルモット」のように育てられた

鳥取大学附属小学校、中学校に通って、とてもユニークな教育を受けました。特に小学校5、6年生の頃の担任の先生が強烈でした。1日の授業が終わると、黒板に「鶴亀算」とか「流水算」とか「通過算」とか「和差算」とか、四則応用問題がいくつか書き出されて、それを一日2題、解けた者から帰っていい、というのがあって、できないと何時間でも残されるんですね。ある時、「鶴亀算」は連立方程式を使えばすぐ解けると気付いたのですが、それは使ってはだめですと言われて、がっかりしたこともありました。

この担任の先生は、当時こういう言い方をしていました。「ここは鳥取大学教育学部の附属だから、こんな教育をしたらどういう子どもが育つのか実験しているんだ。そういう意味では君らはモルモットだ。それが嫌ならやめろ」。

研究者の手の上のモルモット
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今聞くとなんだかずいぶんひどいことを言っているようですが、鳥取県唯一の国立の小学校だったので、できる子が集まっていましたから、慢心を戒める意味合いも相当にあったのだと思います。毎月1回試験があり、その成績を1番から38番までクラスで張り出していましたし、必ず一日に1回日記を書けという課題もあった。それも先生が全部読んでチェックしていたのですから、先生の負担はかなりのものだったでしょう。

他にも個性的な先生がおられました。国語の先生ですが、アコーディオンが上手で、「元寇」という歌(1892年に発表された軍歌。作詞・作曲は陸軍軍楽隊士官)とか、「桜井の訣別」(楠木正成とその息子楠木正行の別れを歌ったもの。「大楠公の歌」ともいう)とか、戦前の唱歌を見事に歌ってくれた。あまりに繰り返すものですから、生徒も皆歌えるようになりました。私は今でも2曲とも歌えます。

「のんびり屋」には最適な学校だった

梅雨が明けると臨海学校でした。プールで100メートル泳げる子たちは、海で1.5キロの遠泳をさせられる。中には途中で泳げなくなる子がいて、先生が後ろからボートでついて来るのですが、助けるのかと思いきや、オールでバシャバシャとやられる。たまらないから皆一生懸命泳ぐ。もちろん人命にかかわる無茶なしごきではありませんが、子どもの力を最大化しようという、そんな学校でした。

私のようなのんびり屋には、あのような環境で、無理やりにでも勉強させられたのはありがたいことでした。

中学2年か3年の時、それこそ二次関数がわからなくなりました。そうしたら、担任の先生が、「今晩俺は宿直で一晩学校にいるから、わからないことがあれば聞きに来い」と言ってくれたので、私はそれを真に受けて、夕方遅い時間に聞きに行きました。そこで先生が時間をかけて丁寧に教えてくれたおかげで、突然二次関数がわかるようになったんですよ。あの時の感激は今も忘れません。ありがたい先生がおられたんですよ。