卑弥呼時代の古墳や建物など「都市」の痕跡

しかも同博物館の春成秀爾名誉教授は「この時代、ほかに有力者はおらず、箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した可能性が高い」と発表、考古学界はもとより世間も騒然となった。その前後には、纒向遺跡から卑弥呼時代の大型建物跡や濠跡なども発見された。

また、纒向遺跡からは、九州から関東におよぶ各地域の弥生土器や朝鮮半島製の壺も出土する。そのうえ、田畑を耕すくわ(農具)はほとんど発見されず、土木工事に用いるすきが大量に出てくる。つまり農村ではなく計画的につくられた「都市」であり、ここに大きな政治権力があったと考えられるのだ。

纒向遺跡辻地区 建物群
纒向遺跡辻地区 建物群(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons

そんなわけで近年がぜん、邪馬台国畿内説が注目されているというわけ。

きっと九州説を支持する人々は面白くないだろうが、もちろんこれで畿内説に確定したわけではない。今後、新発見や新説の登場によって「やはり九州に邪馬台国があった」となるかもしれない。だからあまり目くじらを立てないで、諸説を通観して古代のロマンを楽しんでほしいと願う。

「イイハコつくろう」に変わった! はデマ

「みなさん、鎌倉幕府の成立は、いまの教科書では1192年ではなく1185年に変わっています。イイクニつくろうではなくて、イイハコつくろうなんですよ!」

たまたまテレビのチャンネルを回したら、ちょうどある歴史学者がバラエティ番組で得意げに芸能人に語っていた。それを聞いた芸能人たちは「えーっ」と大げさに驚いた。

一緒にテレビを見ていた妻が「またやってるね」といい、私はそれを聞いて苦笑いした。

何度このフレーズをパクられたことだろう。日本で最初に鎌倉幕府の成立が「イイハコ(1185)」に変わりつつあるとバラエティ番組で話したのはこの私だ。いまから19年前、日本テレビの「世界一受けたい授業」の収録でのことだ。

ただ、相当なインパクトがあったのだろう、このネタは毎年のようにテレビやラジオで語られ続けている。でも、はっきりいってこの話、ウソなのである。