お嬢様育ちの嘉子が福島の農家に疎開して田植えを手伝う
戦争が激しくなるにつれ、生活が苦しくなった。長男の芳武が生まれて約1年後の昭和19年2月。住んでいた麻布笄町の借家は、軍の命令で引き倒された。空襲による火事を防ぐためであろう。嘉子らは高樹町に移った。しかし、翌20年5月。この家も空襲で焼けた。弟の一郎の妻である嘉根と一緒に、嘉子は疎開した。嘉根は生まれたばかりの娘を連れていた。芳武は、2歳半だった。
4人は6カ月間、福島県の坂下の農家で暮らした。輝彦は疎開先の様子をこう語る。
「(姉がいたのは)畳もないゴザの上、ランプの灯の下で、ノミとシラミの巣の中、四方八方に頭をさげながらの食糧確保、ジメジメした裏庭での不便な炊事。田植えを手伝ったり、鍬を握ってお百姓さんの真似事を覚えました。幼い子を守る必死のタタカイを、生来の旺盛なバイタリティでとにかく耐えました」(同書)
豊かな家で育てられた彼女である。大変な苦労であったろう。
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