女性はまだ裁判官になれなかったが、司法省でのキャリアを開始
嘉子は昭和22年(1947年)6月30日、司法省の民事部に勤め始める。「司法調査室」で仕事をした。彼女は次のように書いている。
「戦中戦後にかけて、家族を食べさすことに追われ、百姓仕事に没頭していた私は、町に降りて来た山猿のように何も分からず、与えられた机の前に座って周囲の人々の目まぐるしい動きをあっけにとられて眺めている有様でした。
当時、民法調査室は(中略)、民法の改正法案についてGHQと審議を続ける一方、家事審判法案作成作業中だったと思います。
すでにでき上がっていた民法の改正案を読んだときは、女性が家の鎖から解き放され自由な人間として、スックと立ち上がったような思いがして、息を呑んだものです。始めて民法の講義を聴いたとき、法律上の女性の地位のあまりにも惨めなのを知って、地駄んだ踏んで口惜しがっただけに、何の努力もしないでこんなすばらしい民法ができることが夢のようでもあり、また一方、余りにも男女が平等であるために、女性にとって厳しい自覚と責任が要求されるであろうに、果たして、現実の日本の女性がそれに応えられるだろうかと、おそれにも似た気持ちを持ったものです」(「婦人法律家協会会報」17号)