自説に縛られ続けていると頭は古びていく
明らかにわたしを見下す態度でした。その人は自分の学んできた学説こそが正しいという思いで固まっていますから、量的緩和や財政出動だけで景気がよくなるとかたくなに信じているという様子でした。
もちろん、このときのわたしの説が絶対に正しいとは自分自身思っていません。
ですが、それが専門家によるものか素人の発想かにかかわらず、「こんな考え方もできるのではないか?」というアプローチは、非常に大切なのではないかと思っています。
この例でも顕著ですが、自説の正当性を信じて疑わない人は、新しい視点からの意見を受け入れることができません。
自説とそれを支えてきた過去の学説が、あたかも宗教のような性格を帯びてしまう。これはアカデミックな世界に非常に多い現象です。
標高の低い頂に立っただけで満足してしまう、小さなお山の大将と言ってしまえばそれまでのこと。往々にしてこの手のタイプは、自説に縛られているがゆえに、頭をアップデートできず古びていくという、悲惨なスパイラルにはまっていくのです。
「人をバカにするバカな人たち」に欠けるもの
経済学者の榊原英資さんは、わたしが尊敬する人物のひとりですが、お話しするたびに新しいものの見方、考え方のヒントをくださいます。
その彼が以前、「知的謙虚」という言葉について話されたことがあります。
これは「自分が何でも知っているわけではない。自分にはまだまだ知らないことが無限にある」ということを認識する態度を意味する言葉です。
「ものを知れば知るほど、経験を積めば積むほど、自分は優れた頭脳をもっているなどと錯覚せず、謙虚であれ」ということを意識することが肝要なのです。
人のことを見下してバカにするような人に欠落しているのが、まさに知的謙虚と言えます。