1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。歴史評論家の香原斗志さんは「原爆は人命だけでなく、街の歴史も思い出もすべて奪った。例えば、広島の歴史と共に歩んできた広島城天守は、一瞬にして跡形もなくなってしまった」という――。
広島城天守閣
広島城天守閣(写真=長岡外史/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

壮麗な5重の天守が一瞬にして崩れ落ちたときの音

いまからちょうど79年前の昭和20年(1945)8月6日。朝から晴れ渡っていた広島市上空に1発の原子爆弾が落とされた。地上600メートルで閃光を放って炸裂したその爆弾は灼熱の火球となり、熱波が四方へ走った。爆心地周辺は地表面の温度が3000度から4000度に達したという。

一瞬にして広島という歴史ある都市を壊滅させ、その年の暮れまでに推計で14万人の命を奪った1発の爆弾。爆心地から北北東に約400メートルから1200メートルの位置にあった広島城もまた、ひとたまりもなかった。

本丸上段に現存し、当時の国宝に指定されていた5重5階の天守と付属する東走櫓はもちろん、本丸下段に残っていた裏御門の一部や中御門、そして二の丸の表御門、平櫓、多門櫓、太鼓櫓は、文字どおり一瞬にして失われてしまった。

広島市編『広島原爆戦災史』第二巻には、このとき、天守の北方の陸軍幼年学校内にあった軍医部の分室から校門を出ようとしていた、増本春男衛生上等兵の以下のような目撃談が収録されている。

「モウモウと舞い上がる砂塵のなかで、息のつまるような一瞬、聳え立つ五層の天守閣の崩れ落ちるもの凄い音が聞こえてきた。それはちょうど、山頂から無数の木材が、一度に転げ落ちて来るように、ドドドドー、ドドーと不気味に地面に響き伝わった」