「どんなに残酷な殺しの場面でも、セックスの光景でも直視」

昭和31年(1956)5月、嘉子さんは名古屋から東京地方裁判所に戻ってきました。裁判官のスタートも東京地方裁判所でしたし、地方に出すより東京地裁に置いておいた方が上としては安心という判断もあったのかもしれません。

特に地方裁判所は人数が少ないだけに、刑事事件も含めていろんな事件を扱わなければいけません。中には殺人や性犯罪事件もあり、そうした事件は女性裁判官には担当させにくいという風潮があったようです。しかし、嘉子さんは男女平等がモットーですから、愛憎の果てに起きた事件も担当すべきだと考えていました。

「どんなに残酷な殺しの場面でも、またしゅう恥心を覚えるようなセックスの光景でも一旦いったん職務となれば感情を乗り越えて事実を把握しなければ一人前の裁判官ではない」
(『女性法律家』有斐閣)

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東京地方裁判所のトイレで裁判当事者に刃を向けられる

ところで、嘉子さんが裁判所で危険な目に遭ったこともありました。それは名古屋に転勤して戻ってきた後の、東京でのことですが、法廷での審査が終わりトイレに入ったとき、担当していた裁判の当事者だった高齢の女性に洗面所でカミソリの刃を向けられたのです。

嘉子さんが驚いて声をあげ、駆けつけた警備員にその女性はすぐ取り押さえられたため、怪我はなかったそうですが、嘉子さんは酷く悩んだそうです。ちなみに訴訟事件がどんなものだったかは、守秘義務もあり語られていないので、私たちも知りません。

当時、相談を受けた家庭局の上司・内藤頼博(ドラマで沢村一樹が演じる久藤頼安のモデル)さんは、「和田さん(当時はまだ亡くなった夫の和田姓)もとんだ災難に遭ったものだ」と同情したそうですが、嘉子さんは「当事者にそういう気持ちにさせた私自身が、裁判官としての適性を欠くのではないか」と苦悩していたそうです。