赤ちゃんは自分で自分の機嫌を取れない

人は他者の機嫌が気になるものだ。会社では、部下は上司の機嫌をとても気にしている。

上司の機嫌を忖度して仕事をしている人も少なくないだろう。「今日は部長の機嫌が悪そうだ。部長の機嫌がいいときを見計らって相談しよう」と。しかし、それによる労働損失は計りしれないのだ。

逆に、不機嫌で人を動かしている人もいる。それでは質の高い人間関係は生まれないので、強いチームの形成は不可能だといえる。不機嫌で人を動かしている人は明らかに未熟だといってもいい。

赤ちゃんは、自分で自分の機嫌をとれないから赤ちゃんなのだ。自分の機嫌の悪さをお母さんに泣いて知らせる。そして、お母さんにおむつを替えてもらうか、おっぱいをもらうまで機嫌が悪い。お母さんに機嫌をとってもらうしかない。

大人になっても自分の機嫌を自分でとれない大人は、大人のぬいぐるみを着た赤ちゃんといっても過言ではない。そんな大人が組織やチームの中にいると、どう見ても質の高い人間関係のチームにはなっていけないだろう。つまり、人間関係に信頼が生まれないのだ。

人間関係において「信頼」を生み出す必須条件

だれかから信頼され、だれかを信頼するためには、「機嫌がいい」生き方、働き方をしていないと、その人間関係は生じないのだ。機嫌がよく、するべきパフォーマンスの質を担保している人を、人は信頼する。

「どんな人と無人島に行きたいか?」を自問してみよう。わたしは絶対に機嫌よく、そのときできることや、するべきことを行っている人と行きたい。するべきことをしていない人はまずもって信頼できないが、たとえ、するべきことをやっていたとしても、いつも機嫌が悪い人と2人きりで無人島には行きたくない。人間関係が苦しくなることが容易に想像できるからだ。

「機嫌がいい」は、人間関係において信頼を生み出す必須条件だということでもある。こういう原則がある。機嫌が悪くてもいい人はいるが、機嫌が悪い人といたい人はいない! と。