不遇の天才医学者「北里柴三郎」

ところで、今度の「新札トリオ」渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎とはどんな人物だったかご存じでしょうか。私の偏見かもしれませんが、この人たちの歴史的業績は一般の日本人にとってはあまり馴染みがないように思われます。

まず新1000円札の北里柴三郎(1853~1931)ですが、「近代日本医学の父」などと呼ばれていますし、なんとなく「偉いお医者さん」だなというイメージがあるかもしれません。しかし私に言わせれば、この人の業績はまさにノーベル賞級のものです。

「血清療法」をご存じですか? 簡単に言えば、人を殺してしまうような毒素を人工的に弱毒化させ人間以外の動物に注射し抗体を作らせ、その抗体を含む「血清」を抽出し人間に投与することによって病気を治療する方法です。実はこれを発見したのは北里柴三郎なんですね。

若き日の北里柴三郎
若き日の北里柴三郎(画像=Roy17/PD Hong Kong/Wikimedia Commons

もちろん人類初のことで、この成果は共同研究者のエミール・ベーリング(1854~1917)と連名の論文で世界に発表されました。にもかかわらず、第1回のノーベル生理学・医学賞(1901)ではベーリングのみがその功績で受賞し、北里は選ばれませんでした。はっきり言いましょう。この時代は欧米列強が世界を制し、有色人種の国を植民地化していた時代でした。だから当然白人優越の思想があり、北里はそうした人種差別によって受賞できなかったのだと私は確信しています。

残念ながらノーベル賞委員会はこうした見方を否定しているようです。そんな差別はなく、ではなぜ北里が受賞できなかったという問いに関しては「北里は血清療法を開発したのではなくベーリングに実験結果を伝えただけ」と「誤解」したからなのだそうです。しかしなぜそんな誤解をしたのかといえば「有色人種にそんな画期的な発見ができるはずがない」という偏見があったからではないでしょうか。それを人種差別と人は呼ぶのではありませんか。

ちなみにペスト菌を発見したのも北里柴三郎ですが、これも同時期に発見した白人医学者の功績になっています。これも有色人種に対する偏見のせいだと考えるのは私のひがみでしょうか。私はこの新紙幣発行が契機となって、北里の功績が見直されることを期待してやみません。

当時の常識を覆した「津田梅子」

新5000円札の津田梅子(1864~1929)の功績は何でしょうか。

日本における女子高等教育の推進者で、女性の地位向上に貢献した――その通りなんですが、こういう書き方をするとその人がいかに苦労したかが消えてしまう、というのが歴史学者ならぬ歴史家としての私の意見です。

男女同権といえばそれが完全に実現されているかどうかは別として、誰もが否定できない理想ですよね。ただしそれは現代の常識であって、かつてはむしろ「女はでしゃばらずに家庭に引っ込んでいろ」というのが日本の常識でした。昭和20年以前、つまり戦前にも普通選挙はありましたが、選挙権を持っているのは男子だけで女子は除外されていました。それが「普通」だったのです。

当然、「女には高等教育など必要ない」ということを公言しても、非難されるどころか喝采を浴びることすらありました。そうした中、津田梅子は女子高等教育の実現を成し遂げたのです。彼女の創立した学校は女子英学塾と言いましたが、現在は彼女の名前をとって津田塾大学と呼ばれているのも、彼女の功績が極めて大きいからです。

津田梅子の肖像画
津田梅子の肖像画(画像=Reka severnaya/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

ではどうして日本は「女は引っ込んでいろ」という世界だったのか。実はそれは江戸時代からの話であって、戦国時代以前の女性はもっと自由でした。そもそも卑弥呼も北条政子も女性です。日本は女性が強い国だったのです。ところがそれが変わったのは、徳川家康が日本に武士の道徳として儒教それも女子に対する偏見が根強い「朱子学」という学派を導入したからです。