心は受け止めて、事実はクールに進める

実際、腹も立たない。ヒトの脳には、情の回路と理の回路があって、その2つの回路の答えは大きく違う。情で揺れても、理性でなんとかするのが人間だもの。揺れた情の一言をいちいち正す必要もない。共感して慰撫いぶしてやれば、たいていは、理の回路に切り替わる。

人間のコミュニケーションには、2本の通信線がある。「心の通信線」と「事実の通信線」だ。心は受け止めて、事実(ことの是非)はクールに進めるのが、対話の達人である。

「わかるよ、君の気持ち」と受け止めたあと、「でもね、相手にしてみたら、受け入れがたいかも」とダメ出しをし「こうしたら、スムーズだったんじゃない?」とアドバイスをする。他人にそれができる人でも、家族には、いきなり「何やってんの。お前も○○すればよかったんだよ」とダメ出しする人が多い。

前者は、心理的安全性が確保される対話、後者は心理的安全性が損なわれる対話ってことになる。

父親の前でうずくまる子供
写真=iStock.com/ridvan_celik
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名前を呼ばれても「イヤ」なイヤイヤ期

子育てのフェーズには、「親が、子どもの言動をいきなり否定しやすい時期」がある。最初に来るのが2歳のイヤイヤ期、次に4歳のなぜなぜ期、最後に思春期である。

親が何をしても、誰かが一貫して言動を受け止めてあげれば、心理的安全性は確保できる。その誰かになってあげて。

我が家の孫息子は2歳3カ月、今まさにイヤイヤ期真っ最中である。おむつを替えるのもイヤ、着替えるのもイヤ、何にせよ、こちらから誘うと全部イヤ。調子に乗って、返事が「イヤ」になるのが面白すぎる。

名前を呼んでも「イヤ」、おやつに誘っても「イヤ」、「抱っこする?」にも「イヤ」。もちろん、いけしゃあしゃあとおやつを食べ、抱っこしてもらいに来るけどね。反射的に、口について出ちゃうみたい。

そのほか、「ちがうよ〜」もよく言うけど、力が入りすぎると、ヤンキー兄さんみたいに「ちげぇ〜よ〜」になって、これもめちゃかわいい。

「お風呂に入るよ〜」と言ったら絶対来ないので、私が先に入って、ボディソープの泡で、鏡や壁をもこもこにしておいて、「消防士さん、お願いします!」と呼ぶと、タッタと走ってきて、シャワーできれいに流してくれる。仁王立ちになって、両手でシャワーヘッドを掲げる姿は、まさに消防士そのもの。その間に、さっさとシャンプーしちゃう。