「ヨーロッパのイスラム化」に反対する集会を襲撃

6月2日、ドイツで初めて警官が一人、イスラムテロによって命を落とした。いったい何が起こったのか?

5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイム市では、市民運動「パックス・ヨーロッパ」の集会が行われる予定だった。テーマは、「政治化したイスラムについての啓発」。会場は町の中心の市場広場で、昼前にはインフォ・スタンドが設置され、その日のスピーカーであるミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー(Michael Stürzenberger)氏らが準備にいそしみ、すでに警備の警官も待機していた。

ミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー氏
ミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー氏(写真=Tetzemann/CC-Zero/Wikimedia Commons

パックス・ヨーロッパというのは、「ドイツとヨーロッパにおけるキリスト教、ユダヤ教文化の保護、および自由で民主的な基本秩序の保持」を自分たちに課された義務であるとするグループで、「静かに浸透しているヨーロッパのイスラム化」を防ぐべく、長らく警鐘を鳴らしてきた。ドイツでの回教寺院の新設にも強く反対している。

シュトゥルツェンベルガー氏は1964年生まれで、90年代はバイエルン州の複数の放送局で記者やレポーターとして働き、また、2003~04年にはCSU(キリスト教社会同盟=キリスト教民主同盟のバイエルン版)の報道官も務めた。

犯人はアフガニスタン出身の25歳の移民

ところが、2013年からはバイエルン州の憲法擁護庁から「反イスラム主義者」の疑いをかけられ、マークされるようになった。以後、何度か民衆扇動罪で訴えられたが、有罪の判決が出るには至っていない。現在は独立系のジャーナリストで、イスラムに批判的な活動家、ブロガーとして知られている。

31日の昼前、その広場に現れたのが、25歳のアフガニスタン人のスレマン・A。Aは2013年、14歳の時に、兄と共に保護者なしでドイツに入国。ヘッセン州で難民申請をしたが、14年の7月には却下されている。

ただ、ドイツは、未成年を国外に送還することはないため、そのまま義務教育を受け、19年にはドイツ国籍を持った女性と結婚。子供が2人できた後は、ドイツ国籍を持つ子供の保護者として正式にドイツの滞在許可(期限付き)を得た。