進路の話で泣く子は多い
この取材で出合う高校生たちの多くが、彼ら彼女らなりに具体的な将来像を話してくれる。こちらは、その具体性に惹かれて話を聞き続けているのだが、そういう高校生は「少数派」なのではないかという予感もある。「TOMODACHI~」から帰ってきて、クラスの友だちと話すときに「ずれ」を感じることはありますか。
全員「ありました」
あっ、声が揃った。
石川「帰って来たときにいちばん最初に思ったのは、友だちや先生が『小さいことで怒ってるなぁ』ということ。なんか考え方が……ことば悪いんですけど……ちょっと狭いなって思うときもあって『TOMODACHI~』に一緒に行った人とか、向こうで出合った人って、いろんな考え方を持ってるし、広い視野で物事を見てる人が多くて、そういう違いを楽しめる人がすごく多かったので、なんか、日本に帰って来て『もうちょっと人の考えを受け入れたり、考えをシェアしたりっていうことができないかな』って思ったり」
合州国に行ってきたことで、日本で暮らすのがしんどくなっちゃったことは。
三品「それはないですね。やっぱり日本の食べもののほうがおいしいなあとか(笑)」
皆さんは学校では、友だちと進路の話をしているんですか。
太田「夢のない高校生、多いです。友だちに夢聞かれて、わたしは一応は決まっているので答えるんですけど、『え、すごいね』って驚かれる。『決まってない』って泣き出す子、いない?」
石川「進路の話で泣く子はすごく多いです。(職業を知る)機会がないんです。『職業、何知ってる?』って言われたら、お医者さんと、社長さんと……みたいな、もうほんとうにそんなかんじで。決まってないまま、文系か理系かに決めて、そのまま行けるレベルの大学に進んで」
太田「そうやって行ってから、大学辞める人多くない? なんかそんな先輩の話聞いた。辞めて、また違う大学行って、倍もお金がかかって……って言ってた」
石川「大学入って、『この職業だ』って言えるものに出合った人って何人いるんだろうって考えちゃう。やりたいことがあったら、それ一直線で進めるけど、やりたいことがないのに、とりあえず勉強して会社入って……って考えると、たいへんだなと思って」
三陸での取材では、こういうことばには出合わなかった。大槌では父が造り酒屋を再建し、気仙沼では祖母がつくる茶を父が事業化しようとしている。介護施設で働く親兄弟の話は複数回耳にした。三陸では、親兄弟の、近所の大人たちの仕事が目に見える距離にある。それは職業選択肢の少なさという問題と表裏一体ではあるのだが、見えるところに大人の働く姿があるのも事実だ。だが、都市部の普通校——あえてこの表現をつかえば「ふつうの高校生」には、それがひじょうに見えにくいのだ。
最後に、石川さんから送ってもらったメールをここに記す。
「正直、わたしにも将来への不安や恐怖はあります。偏差値がすごく高いわけでもないし、秀でているものもないので。取材のときの『ふつうが大変』ということばを感じることもあります。わたしの夢は漠然としていて、夢の決め方、探し方さえわかりませんでした。でも、アメリカに行ってたくさんの人に話を聞いて、帰国後は自分がどうありたいかがわかるようになりました。わたしが自信を持って夢を持つことができたのは、アメリカに行き、今まで知らなかったことをたくさん知り、すばらしい仲間に出合えたからだと思います。支えてくれる仲間と、視野を広げる機会があったから、泣かずにいられるのではないかと思います」
次回は福島県最大の商都に、4人の高校生を訪ねる。
(明日に続く)