SNS投稿は本人のためにならない

Twitterはイーロン・マスク氏が買収してXになって以来、同氏の新たな施策が裏目に出てこれまでにないほど殺伐とした空間になっている。特に、昨年末から年始にかけては最悪で、そこに松本人志氏の性暴力疑惑も重なって暴露大会と罵詈雑言の坩堝と化していた。長年、Twitterの時代から使ってきた私も、うかつに投稿できないと恐ろしく思っていたほどだ。

そんな中でブログやインスタグラムであってもネットで投稿してしまうと、Xで吊し上げられ、何より投稿した個人にマイナスにしか働かない。当時、日本テレビは脚本家との関係が決裂していたようだが、それでも「投稿は脚本家のためにならない」ということをなんとしても伝えるべきだった。

スマートフォンの画面に並ぶ各SNSのアイコン
写真=iStock.com/georgeclerk
※写真はイメージです

一方、小学館の報告書からは、原作者がどうしても世間に主張したいとの意向をむしろ尊重して、小学館側が投稿をサポートしたように読み取れる。何より「あなたのために、何一ついいことはありません」と全エネルギーをもってして説得に回るべきだった。

あるいは、「小学館として日本テレビに公式に抗議します」と伝え、実際に抗議するべきだったと思う。会社同士のトラブルを、最終的に個人同士の諍いにしてしまった。

二度と同じ悲劇を起こさないために

そして実際、脚本家は猛攻撃に遭い、原作者は自分の主張を遂げたはずなのに、脚本家への恐ろしい攻撃を目の当たりにして驚愕した。原作者はXアカウントをこの時のために作ったので、どんな場かよく知らなかったに違いない。だから「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」という投稿をXに残している。

実際、いいことがなかったどころか傷ましい悲劇を生んだ。コンテンツ制作でのトラブルをSNSで訴えかけても悪いことしか起こらないことを業界で認識すべきだと思う。弁護士を立てて交渉するなど、冷静な対処をするほうがずっといい。

さて2社の報告書を読んで、今後どう改善すべきか、私なりに総括したい。俯瞰的に見ると、今回のトラブルの大きな原因として、メディア業界が契約書を後回しにしてきたことがある。

映像制作には細かい話、微妙なニュアンスがつきまとうため、その共有がものすごく重要なのに、ふんわりした言葉で曖昧に物事を進めることが多い。この件でいうと「原作をたいせつにするドラマ化」とはどういうことか、明文化されないまま制作に至ってしまった。

この業界が契約書をないがしろにする、つまり条件を明確な言葉にすることをなおざりにしてきたために、今回の悲劇が起こった。そのことをこそ、この報告書から読み取るべきだと私は思う。