「羅生門」のような2社の報告書

原作を尊重してドラマ制作を進めることはふんわり合意していたが、具体的にどうドラマ化するかは結局曖昧なまま進んだことがよくわかる。

2つの報告書を照らし合わせると、それぞれ自社の立場を守る書き方が目につく。報告書同士が「言った言わない」の水かけ論をやらかしているとも言える。同じ出来事をそれぞれが全く別の物語として語っていて、映画『羅生門』のようだ。読み比べてどちらが「正しい」かは、裁判でもやって決着しない限りどうとも言えるだろう。ここではその「判定」はできない。

問題だったのは、そのふんわりした合意が原作者と脚本家を「対立」させてしまったことだ。原作者は、ドラマ化は原作に忠実に進めてもらう条件で許諾をしたつもりでいた。それは脚本家にも伝わっていると思っていた。脚本家はそんな条件があったことは知らなかったし、知っていたら引き受けなかった。ここに大きな齟齬があり、二人が対立する形になった。

原作者と脚本家の対立を生んだ責任

原作者は「条件」に納得したはずの脚本家がなぜいちいち原作を変えてくるのかと感じたようだ。脚本家は、「条件」を知らないのでなぜドラマ化のための改変に事細かにダメ出しするのかと受け止めた。ついに最後の9話と10話では、原作者が自ら脚本を書くことになった。

原作者からすると、脚本家が原作を変えようとするので「条件」に従って自分が書くべきと考えたし、脚本家からすると突然原作者が自分で書くと言い出したと理不尽に映っただろう。

「条件の共有」がなされていなかったのは会社間の問題だ。不幸なのは、それが原作者と脚本家の個人同士の対立に集約されてしまったことだ。

最初に、個人を責めるべきではないと書いたが、日本テレビと小学館という二つのメディア企業にはやはり責任があると思う。

そして最大の責任は、条件共有の曖昧さより、二人のSNS投稿を止められなかったことにある。脚本家は2023年12月下旬に、原作者はそれから約1カ月後の24年1月下旬にドラマ制作の経緯についてそれぞれ投稿を行っていた。