「おいしい」人気店が数年後に潰れるのはザラ

多店舗化を視野に入れていないような個人レストランでは、魅力的品質を追求してライバルとの差別化をはかることはよくあります。しかし、味や盛りつけを洗練させたり、毎回一期一会のサプライズ演出を心がけたりすることは、諸刃の剣になりやすい。「味」を売りにしている店ほど、味が変わったときの評価は厳しくなります。

「昔はおいしかったのに、店主が/シェフが/仕入れが変わって味が落ちた」という評価ほど、恐ろしいものはありません。一時期「おいしい」と評判になり、メディアでも紹介されたような人気店が、数年後には姿を消すということも、実際、珍しくはないのです。

店員が常連のお客さまの名前を呼ぶというサービスも、呼ばれた瞬間はうれしくても、次からは名前を呼ばれないだけで不満に感じてしまう、という落とし穴が待っています。その店員がずっといてくれればいいですが、残念ながら、人はどんどん入れ替わる。とくに多店舗展開しているチェーン店では、そういう個人の力量に大きく依存したサービスは維持できません。

「特別扱い」よりも「当たり前」を貫く

しかも、そういう「特別扱い」に慣れてしまったお客さまの何割かは、モンスター化してしまいます。「前はやってくれたのに」「あの店ではやってくれたのに」という不満が爆発して、大声で店員を叱りつけたりする。最初に名前で呼んだ店員は、よかれと思ってしたはずですが、それがかえって潜在的なモンスターを育てていることになりかねない。だから特別扱いはよくない、「当たり前品質」で統一したほうがブレがなくていいわけです。

では、当たり前品質とは何でしょうか。

アンケート調査をしたことがありますが、たとえば、メニューブックがベタベタしているのが不快だ、という声があります。テーブルがガタつく、ソファに穴が空いているというのもそうです。そうしたことをなくそうと考えました。

店をきれいにリニューアルするにはお金がかかるけど、手を抜かずにメンテナンスすれば、不快だと思われる可能性は少なくなる。そこを大事にするという方針を立てました。それ以上のことをやろうとしても、国内1000店、従業員数1万人の規模のスタッフを抱えているサイゼリヤでは維持できないからです。