この頃の野沢屋本店には、毎日40人を超える宴会客が訪れていた。その半分以上は、祖父や父とつき合いのあった地元の顔役たち。夕方になると街に繰り出していた祖父と父は、名士たちとの親交を深め、その縁を店へとつなげていた。

ただ、この関係性を保つには、お金と時間を注ぎ続ける必要がある。それをしんどいと考えた武さんは、父や祖父の築いた人脈を積極的には維持しなかった。

「不思議なもんでさ、街でお金を使えば使うほど客は増えていくんだ。でも、そういうのを辞めたかった。もっと目の前のお客さんを大事にしながら、小さく仕事を続けたいと思ったんだよ」

自分を求めてくる客を大事にしようと思った

店の規模を小さくしようと考えた時に、考えたことがある。それは、武さんとの交流を求めて訪れる常連との会話を増やすこと。武さんは、常連客の中心にいた。店に訪れた客に、質問を投げかけ、リアクションを取り、間が空くと自身のエピソードトークを披露する。宴会の場をトーク番組の司会者のように盛り上げていた。

しかし、自身が厨房に向かうと、座敷のトーンは徐々に盛り下がる。もっと客と一緒に楽しめる時間を増やしたいと思っていた。

ある日、いつものように注文を受け、串を焼いていると、常連客が声をかけてきた。

「親父、割いてくれればいいよ。こっちで焼くからさ。それよりも一緒に飲もうよ!」

その声を聞いた時に電流が走った。

「ナイスアイディアだ!」

うなぎ
筆者撮影
いけすの中のウナギ。

10人いたアルバイトはゼロに、夫婦だけで再出発

ひとつのうな重を作るには約20分かかる。もし時間のかかる串刺しと焼きの工程を省略できれば、客の話をじっくり聞くことができる。それに、自分のペースでチビチビと焼いて食べるうなぎは、ビールを飲みながら長い時間を楽しむつまみにもピッタリだ。

武さんに迷いはなかった。

4席あるテーブルにひとつずつ七輪を置いて、セルフスタイルでのうなぎの提供をスタートした。父と祖父が呼んでいた客が来なくなった影響もあり、約1年で1日の客数は40人から10人へと減少。その間に10人いたアルバイトを雇うのをやめて、武さんと妻の2人で店を回すようになった。

店に来る人は武さんと旧知の仲間ばかり。自分で焼くうなぎのスタイルにとまどう人もいたが、味に対しての意見はほとんどない。路線変更に成功した武さんは、座敷での会話に花を咲かせた。

このスタイルを始めて21年。71歳になった2020年。妻の体調と体力を考慮して、店に出るのは店主ひとりになった。ひとりでオペレーションを成り立たせるために、12:00~20:30だった営業時間を11:00~14:00へと短縮。座敷に座りながらタバコを吹かす日々を過ごすようになった。