「なんだ、その仕込みのやり方は!」
「いま仕事しているんだから、親父は黙っていてくれねえか」
「うるせえ! こっちへ来い!」

店の裏側へ回ると、父は置いてあった木の板を拾い、振り上げた。武さんは1歩も引かずに言い返した。

「やるならやってみろよ。もう親父の時代は終わったんだよ!」

父は振り上げていた木の板をガタッと地面に落とし、立ち尽くした。それ以来、店について口を挟むことはない。経理面をサポートしつつ、地元の客を呼ぶ役割を担うようになった。

「やっぱり親父は強かったよ。若い時から一生懸命に仕事をやってきた人間だからな。でも、店をすんなりと譲ってくれた。感謝しているよ」

ウナギをさばく野沢さん
筆者撮影
ウナギをさばく野沢さん。

3500円のうなぎと飲み放題のセットメニューが大ヒット

劇的な代替わりを果たした武さんは、店主としての自覚を強く持った。切り盛りするからには、自分の味を出したい。そのためには、新しい客を開拓する必要がある。これまで出前中心だった店舗に宴会客をもっと呼ぼうと考え、創業70周年の記念キャンペーンを展開した。

打ち出したのは、うなぎと飲み放題で3500円のセットメニューだ。武さんが家業を継いだ1979年は、全国的な居酒屋チェーンブームが始まった時代。「養老乃瀧」「つぼ八」「村さ来」に代表されるように、安く飲めて、たくさん食べられるチェーン店が支持を集めはじめていた。そんな状況でも武さん考案のセットメニューは目を引いた。工業都市で汗を流す人たちが連日押し寄せた。

「この太田の街には自動車メーカーのスバルと関連工場がたくさんあるわけだ。工場の部署ごとにDMを1日100通くらい送ったら、多くの人が来てくれた。1階に20人、2階に30人。毎日、満席だったよ」

ウナギをさばく様子
筆者撮影
このまな板の上でたくさんのウナギをさばいてきた。

つくったのはお得なメニューだけではない。東京での修行の成果を取り入れて、フグの提供も始めた。免許を取得し、仕入先を開拓。店の砂壁にメニューを筆で書き入れた。しかし、味のイメージを浮かべにくいからか、思ったより注文は入らなかった。「みんなうなぎの方が好きなんだよな。フグはあまり出なかったよ」と苦笑する。

3代目野沢屋本店は、時代の転換に合わせて、華々しいスタートを切った。売上も上々。両親に多めにお金を渡せるようになり、妻と一緒にカウンターで寿司を食べられるようにもなった。武さんは、商売人としての自信を深めていった。

「小さく仕事を続けたい」と思った瞬間

50歳になったころ、父と祖父が立て続けに亡くなった。そのことがきっかけで、武さんは自身の働き方について考えるようになる。目まぐるしく走り続ける日々に少し疑問を持つようになったのだ。

「こう言うと元も子もないんだけど、地方にある老舗のうなぎ屋の後継者は誰がやってもある程度はうまくいくんだよ。法事もあるし、常連さんもいる。10年かけて自分の家で接客と調理を学んで、一生懸命に続けられれば、お金には困らない。ウチも同じだ。当時は、腐るほど人が来ていたよ」