父の言葉にハッとした。言い方やタイミングが悪かったと気づいた。筋が通っているから問題はないという考え方は間違っていた。

「出て行け!」

武さんは父のメンツをつぶしたことを申し訳ないと思った。言葉をぶつけたことに後悔はない。ただ、ケジメをつける必要がある。自分の未熟さを反省し、父の言葉を受け入れた。そして、前向きに気持ちを切り替えた。

「ちょうどいい機会だ。俺はもっと強くなる必要がある。外の世界で頑張ってみよう」

会社員と料理人の二足のわらじ

新たに選んだ道は会社員だった。

大学時代の友人を頼り、東京・赤羽のアパートへ移ると、秋葉原にあった信用調査会社へ就職した。信用調査とは、個人が資金を調達する際や企業取引の与信設定に使用される調査のこと。武さんは、個人や企業のキャッシュフローを調べる調査員になった。料理人とは真逆の金融の世界だ。1件の調査が給料に反映される歩合の仕事をこなしながら社会人としての経験を積んでいった。

「どこの銀行と取引をしているのか。土地は持っているのか。裏の業者と取引をしていないか。お金まわりの調査をやっていたんだ。個人のビジネスでも企業でもお金の動きを見ると、なんとなく世の中の流れもわかるようになる。俺の働いていた会社は個人の調査も多かったから、色々な事情を抱えた現場も見ることができたよ。たとえば、夜逃げした人の実家へ行って土地や資産を調査することもあった。ある大企業の重役のラブストーリーに絡んだ調査もあった。社会の表も裏も学べたよ」

当時を振り返る野沢さん
筆者撮影
当時を振り返る野沢さん。

もちろん料理人の道をあきらめたわけではない。仕事終わりや休日には、妻・末子さんの弟夫婦が営む田町の日本料理店を手伝いながら調理の腕を磨いた。

「フグの調理方法を学ぼうと思ったんだ。親父はフグの調理免許を持っていなかった。もし俺がフグを扱えるようになれば、店に戻った時に大きな戦力になれると考えたんだ。おしゃれな料理屋でさ。スッポンの扱い方や天ぷらの揚げ方も教えてもらった。お世話になったよ」

母親からの一本の電話

「お父ちゃんが出て行って、店がどうにもならないから帰ってきてほしい」

東京に出て6年がたった29歳の時、母がいきなり赤羽のアパートにやってきた。話を聞くと、父が女性と家を出て行って戻らないらしい。どこに行ったのか、いつ帰ってくるのかもわからない。厨房で指揮を取りながらうなぎを割ける人はおらず、店は回らなくなった。母からのSOSを受けた武さんは、仕事の整理をして太田に帰郷。覚悟を決めて店の切り盛りを始めた。

店に立ち初めて1カ月がたった頃に、父はひとりで店に戻ってきた。ただ、店を離れていたことへの説明はなく、料理もつくらない。不機嫌そうに厨房に立つのみだった。

数日がたち、武さんが厨房でうなぎをさばき、天ぷらを揚げていると、父が大声を上げた。