合州国で出合った「変な先生」

小松優果さん(気仙沼女子高2年生)。

「まだ自分の夢が、はっきりしてないというか。どんな職業があるのか、まだ知らなすぎて。自分に合った職業が何なのかも、まだはっきりしてないんですけど……」

そう話し始めた私立気仙沼女子高等学校(英進コース)2年生、小松優果(こまつ・ゆか)さんのお母さんは、鮨屋さんだった。

「そのころはわたしも家でお手伝いとかしてました。今はやってなくて。今は、たとえばイオンとかに入れる鮨ネタを切ってるんですけど。鮨には関わり続けてます」

小松さんは「TOMODACHI~」に参加し、(こういう言い方で合っているのかどうか少々悩むが)本場のカリフォルニアロールを食べた。

「おいしかったですけど、日本のものとはちょっと違うというか、ちょっとスパイシーなかんじで、『これは何だったんだろう』みたいな(笑)。日本には、気仙沼には、もっとちゃんとおいしいのあるから、魚のおいしさを向こうの人にももっと知ってもらえればと考えてました。おいしい鮨を食べさせて、あっちで暮らしたいと思ってます。進路ってかたちでは、まだ学校とかぜんぜん決まってないんですけど、アメリカに行って、あっちで入学したいっていうのも考えてます。とりあえず高校卒業後は1年間カナダでワーキングホリデーをして、その先のことは考えていこうかなとか考えています。学校の英語の成績? 英語は、まずまず。英語だけは(笑)」

合州国で印象が強かったできごとを教えてください。

「広い食堂でランチを食べてるときに、小学生の集団が来たんですけど、引率してきた先生が、すごいクレージーな(笑)かんじで。いきなり隣に座って、『いい?』ってなって、『ああ、いいですよ』って言ったら、いきなり自己紹介始めて。子どもたちがうるさくなると、『静かにしなさい』って叱るんじゃなくて、なんか面白いことやって、子どもたちをぱっと注目させて静かにさせるんです。日本なら『変な先生』って思うのかもしれないけど、ああいう教育すごいなと思って。ああいう先生というか、指導者というか、日本にいないし」

小松さんが体験したのは授業で習う英語とは違う、子どもたちを惹きつける「話しかた」だった。さて、小松さん、向こうで鮨屋を仕事にするとなると、どんな準備が要りますか。

「今回行ってみて『しゃべれない』というのが、まずいちばんの課題だとわかって。将来ひとりで行ったとき、勉強するにしても、泊まるところを探すにしても、まず何をするにしても、英語で話さなきゃいけないから、まずは英語をしっかり話せるようにと思っています。今、けっこう真剣に英語とフランス語を勉強しています」

フランス語ということばは、この取材で初めて耳にした。なるほど料理の世界の世界共通語がフランス語だからか。こちらのこの勘違いを、小松さんは取材後のメールで訂正してくれた。

「はじめはただの興味本位だったんですよ。わたし、4歳から英会話を習っていて、塾の先生から『知人に英語とフランス語話せる人がいるから、なんとなく少し勉強してみない?』と紹介されたのがきっかけてす。今はまだ挨拶程度なんですけどね(笑)。でも、語学って勉強して損ってないと思うんですよ。今はたまたまフランス語なわけですが、挨拶程度なら韓国語や、イタリア、ドイツ語だって知っておきたいです。料理のための勉強というよりは、世界中の人とお話ししたいから勉強ってかんじです」

こちらの頭の中に、気仙沼でフランス語に出合う機会はない、という思い込みがあった。港町は人の出入りが盛んなのだ。高校生たちが教えてくれる。「ロシア人結構います」「お母さんの働いてるところ、フィリピン人と中国人います」。
小松さんは、アルバイト先でも「年齢問わずいろんな人」に出合う経験をしている。

(明日に続く)

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