最端の港
何県にあるのかを、よく間違えられる町がある。宮城県の最北端で岩手県と接する気仙沼はそういう町だ。「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加した気仙沼の高校生たちは、こんなことを話してくれた。
「TOMODACHI~で一緒だった岩手組は、気仙沼を岩手県だと思ってたらしくて、調べましたもん、グーグルで。一瞬、自分が間違ってたんじゃないのかと思いましたけど(笑)、気仙沼の自分たちとしては、ここは宮城。全然宮城」「でもね、仙台に行くにも、東京行くんでも、1回岩手の内陸に行ってからじゃないと行けないかんじ」
ややこしいのは、岩手県に「気仙郡」「気仙川」があることだ。
現在の宮城と岩手の県境部分に「気仙」というクニがあったと考えてみると、少しわかりやすくなる。現在の岩手県南東部の行政区域である気仙郡には、気仙川の源流がある住田町のみが属するが、大船渡市、旧唐丹町[現在の釜石市南部]、気仙川の河口となる陸前高田市も、以前は気仙郡に含まれていた。そして明治維新時には、今は宮城県となった気仙沼市と本吉郡が属していた。気仙郡は伊達藩の所領だった。
気仙は古くは「計仙麻」と書かれた。アイヌ語の「ケセモイ(最端の港)」が語源とされている。薩長政府による廃藩置県で、「最端の港」は岩手と宮城に割かれたかたちになる。
気仙沼は三陸有数の漁港だ。かつては東北・北海道で一番の水揚げ量を誇ったこともあるが、震災の年2011(平成23)年の水揚げ量は2万8099トン。東北・北海道・1位の釧路港(11万7000トン)には遠く及ばず、同じ三陸の被災地である宮古(3万5270トン)にも届かなかった(数値出典「水産物流通調査(2011年)」社団法人漁業情報サービスセンター)。
気仙沼市の現在の人口は7万人弱。2012(平成24)年9月時点での震災死者数は1038人、行方不明者数259人。
北に向かうJR大船渡線、南に延びるJR気仙沼線は不通のまま。内陸の岩手県一関市につながる大船渡線だけが、気仙沼に繋がる鉄道だ。「1回岩手の内陸に行ってからじゃないと行けないかんじ」は、震災後さらに強まっている。
気仙沼では3人の高校生に会った。