「お金貸して」って言えないと思う

左から伊澤久也さん、及川秋平さん、佐々木唯希さん。奥州市水沢区にて。

私立一関修紅高3年生の佐々木唯希さん。志望は保育士。「できたら乳児院とか乳児施設を建てたいな」と語る。佐々木さん、乳児院を経営する上で、障害になることは何だと思いますか。

「お金。短大行って保育士の資格を取ろうとするときは大丈夫だと思うんですけれど、乳児院をつくろうとするとき」

人からお金を集める能力が、佐々木さんの中に隠れていると思いますか。

「『お金貸して』って言うんですよね? 言えないと思う」

保育士になるため、もしくは乳児院を経営するために、どんな人に会って何を知りたいですか。

「心理学の先生に会いたいです。子どもを預かるわけで、その子ども、いろいろ問題を抱えているわけだから、そのケアもちゃんとできるようにならないといけないなと思っているから、心理学を学びたいんです。でも、心理学だけ学ぶと、就ける仕事が限られちゃうから、とりあえず保育士みたいな」

保育士の資格を取って保育所に勤めるのがゴールというわけではなく、できれば経営も、できれば心理学も——と佐々木さんの視野が広がるのは何が理由でしょうか。

「病んでる子どもたちを診たいんです、いっぱい。病んでるって言い方はおかしいのかな。ちっちゃい頃から病んでて、そのまま大人になるのは、将来にも関わるから、その子の人生、可哀想だと思う。そのとき診ている側に何かケアができて、普通に戻る——って言い方はおかしいけれど——それができれば、そこからいろんなところに飛ぶことで、その子どもの可能性が広がると思うんです。できるだけいろんなことさせてあげたいし、いろんな体験させてあげたい。そのとき診ている側の視野が狭いと、それは子どもの邪魔になると思います」

保育士の資格を取るだけでは、経営ができるとは——。

「思っていないです。だから簿記とか習ったら、少しは経営もできるんじゃないかなと思って、商工に行ったんです。じっさい、役に立ちそうです。経営やりたいって子が友だちにもいるんですよ。その子は、今、経営の大学に行くとかって言ってて。その子とはすごく合うんで、チームを組んで乳児院やるみたいな形でもいいかなとは思ってます」

商工とは釜石商工高のこと。佐々木さんの生まれ故郷は釜石だ。2年生が終わるまで、佐々木さんはそこに通っていた。

「震災がなければ、釜石で高校3年間暮らしてたと思うんです。だいぶずれちゃったと思う。震災がなかったら? 保育士って夢は変わりないと思うけれど、勉強に追われてると思う。だいぶなんか、緩いんですよ、こっち(内陸)の方。(釜石では)商業系なんで、簿記の計算ばっかで、頭メッチャ使ってたんです。内陸はのんびりしてる」

佐々木さん、保育士になりたい、できれば乳児院を経営したいという思いには、釜石での震災経験が影響していますか。

「うん、ある。あります。震災孤児、今どうなってるのかなって思ってる。釜石、気になる」

同じ岩手でも、釜石と内陸では震災は違うものですか。

「違う。こっちは全然軽い」

釜石から来た佐々木さんは、こちらでイラッとすることある?

「ある。あります。釜石には、(震災のことは)何も見たくない、テレビも無理っていう子も多いのに、わかってない。テレビ見て倒れた子もいるらしいんです。こっちの人、笑って話せる。けど、でも笑って話せるのは許せないし。そういうことは、こっちの人も言えばわかってくれるけど、言うのも……」

佐々木さんの隣には、この2日間、沿岸部を初めて見てきた伊澤さんがいる。沿岸部に内陸の高校生が来るということ、沿岸部OGの佐々木さんは、どう思いますか。

「見に来るのはいいと思うんです。ただ、だいぶ瓦礫も減ったし、建物も綺麗になってるし、最初に見たのがその風景なら、(沿岸部は以前から)そういうものだって思われるかも知れない。『以前はこういう町だったのに、こうなった』っていうかんじがわかんないというか。瓦礫があれば、まだ『うわぁ……』ってなるかもしれないけれど」

最後に「TOMODACHI~」の体験を聞かせてください。

「アメリカ初めてだったんですけど、行って体験したことが、今までの人生で何よりも大きかった。後輩にもほんとに体験してほしいと思う。震災の体験も大きいけど、それはマイナスの面で、下がっちゃうというか、どうしても暗くなっちゃうんだけど、アメリカに行ったことは、プラスのほうで最大の体験。あと、アメリカ人、見たかんじが格好良かったです(笑)。アメリカ人の格好いいところ? 気にしないとこ。日本だと、男の人ってなんか遠慮するじゃないですか。気にしないぶんだけ、こっちも楽なかんじがします」