新1000円札の“慶應北里”vs早稲田大隈の因縁
「紙幣切り替えにまで敏感に反応するなんて、福澤諭吉を神格化した宗教のよう」と揶揄するのは早稲田の同窓組織「稲門会」を取りまとめる「早稲田大学校友会」の代議員。「そもそも40年も福澤1万円札が続いたのに、不満の声が出るほうがおかしい」と話す。早稲田の創設者の大隈重信もたびたび、新紙幣の肖像候補に名前が挙がりながら、実現には至っていない。
「1990年代半ば、5万円札や10万円札の高額紙幣が発行されるとの情報が飛び交い、大隈先生をぜひと日本銀行や旧大蔵省に働きかけたこともある」と振り返る早稲田大学校友会代議員。
この時の対抗馬は坂本龍馬。大隈の出身地の佐賀県と稲門会佐賀県支部が共同で5万円札と10万円札の見本までつくった。
一方、龍馬の地元の高知県は橋本大二郎知事(当時)が先頭に立ち、アピール活動を精力的に展開した。佐賀・早稲田連合対高知の一騎打ちの様相を呈していたが、まもなく事態は収束に向かう。高額紙幣発行の話自体、立ち消えになってしまったのである。
龍馬はともかく、大隈が紙幣に起用される可能性は低そうだ。「かつては伊藤博文や岩倉具視などが起用されたこともあったが、近年は政治家を避ける流れになっている」と政治部記者は解説する。
政治家は時代の変遷とともに批判の的となるリスクがあるからだ。今後も首相を務めた大隈をあえて使おうとはしないだろうという。
早稲田大学校友会代議員は「慶應に嫉妬している」と正直な気持ちを吐露する。福澤諭吉は紙幣から消えても、新たに慶應の顔が加わる。今回1000円札に起用された北里柴三郎はまぎれもない“慶應人脈”なのだ。
東大医学部出身の北里は同大の権威に逆らう論文を発表したために、追放の憂き目に遭う。手を差し延べたのが福澤諭吉だった。福澤の援助を受け伝染病研究所を開設し、北里は所長に収まった。
ところが、当時の大隈重信内閣によって、所長の座を奪われてしまうのだ。大隈の主治医を務めていた東大医学部長の策略だった。頼まれた大隈が手を貸したのである。すでに福澤は亡くなっていたが、追い落とされた北里は慶應に呼ばれ、医学部を創設することになる。医学部は福澤の悲願だった。
いまだ紙幣に起用されていない大隈と、新1000円札に登場する北里。前出の連合三田会役員は過去の因縁に思いを馳せ、「北里さんも草葉の陰で大いに溜飲を下げたに違いない」と歓喜の笑みを浮かべた。