慶應OBの首相=財務相によって20年延びた寿命
7月3日、日本銀行が発行する紙幣が切り替わる。新紙幣に描かれる肖像は1000円札が北里柴三郎、5000円札が津田梅子、そして1万円札は慶應創設者の福澤諭吉から「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一になる。
1984年にそれまでの聖徳太子に代わって1万円札に起用された福澤諭吉だが、2002年に存続の危機を迎えていた。当時の塩川正十郎財務大臣(2015年93歳で死去)から2年後の2004年春に紙幣を一新する計画が発表されたのである。
1000円札は野口英世、5000円札は樋口一葉にするという内容だ。ところが、1万円札は福澤諭吉がそのまま継続されることになった。塩川財務相は「大量に流通していて馴染んでいるから」と説明したが、夏目漱石の1000円札も世間に定着しているという意味では一緒。理由としては説得性に欠けていた。
「塩川さんが慶應出身の小泉純一郎首相(当時)に忖度したのではないかという説も流れた」と振り返るのは全国紙政治部記者。塩川と小泉は慶應義塾大学経済学部の先輩・後輩の仲だ。この噂を一笑に付すのは三田会の中核組織「慶應連合三田会」の役員の一人。
「東大を目指し2浪して仕方なく慶應に来た小泉さんはそれほど母校に愛着を感じている節はない。せいぜい、自身の選挙区(中選挙区時代の神奈川県第2区)にある横須賀三田会に顔を出すくらい。一方、塩川さんも積極的に三田会の活動に参加したことはない。僕らと違って、福澤諭吉先生への畏敬の念も薄いと思う。1万円札だけはこのままにしておくほうが得策だという政治家の勘が働いたのでしょう」
いずれにしても、小泉=塩川ラインの決定が塾員(慶應OB・OG)や塾生(慶應在学生)たちを小躍りさせたのはいうまでもない。結果的に福澤諭吉の肖像がデザインされた1万円札の寿命がさらに20年も延びることになったのだ。塾員や塾生にとって、福澤は特別な存在なのである。