インテリジェンスの基本「ヴェノナ文書」
【江崎】第二次世界大戦中のルーズベルト政権の時からトルーマン政権の時にかけて、アメリカ陸軍のシギント機関がヴェノナ作戦と称する、ソ連の暗号解読作戦を実施していました。
その記録文書である通称「ヴェノナ文書」が1995年にアメリカ政府の手によって公開されたことで、結果的にルーズベルト政権の中にソ連のエージェントが大勢いた実態が明らかになりました。このヴェノナ文書の公開によってアメリカでは、第二次世界大戦を巡る歴史の見直しが起こっているわけですが、このヴェノナがNSAの……。
【茂田】“先祖”に当たります。
【江崎】まさしく“先祖”です。その意味で、ヴェノナ文書はインテリジェンスについて考える際の基本資料だと言えます。ヴェノナ文書とNSA、シギントとの関係を多くの人は知らないのですが。私が中西輝政先生たちとこのヴェノナ文書を研究していた際も、我々は「アメリカのシギント情報機関の発展がどのようになっているのか」という観点で調べていました。
多数のソ連スパイを特定できた理由
【茂田】正確に言うと、ヴェノナは、ソ連の暗号通信の解読作戦に付けられたコード名です。当時のソ連本国と在外公館との通信方法の一つが、国際商用通信ですが、これは当局が簡単に入手できるので内容を秘匿するために暗号を掛けます。この暗号を使用したのは、在米の、KGB、GRU、海軍GRU、ソ連外務省(以上は、在米大使館や領事館を拠点として活動)、「アムトルグ」貿易会社、在米ソ連政府物資購買委員会などです。
解読対象となった中心は、1942年から1946年初めまでの通信です。解読は部分的ですが、ソ連のエージェントのコード名が出てきたりするので、FBIと当時の陸軍のシギント機関ASA(陸軍安全保障庁)が協力して分析して、ソ連のスパイ多数を特定できたのです。
更に付け加えると、ヴェノナの前に、第二次世界大戦の前から、日本の外交暗号は解読されていました。
米国は、1919年に主として国務省が費用を負担して「ブラックチェンバー」という秘密の民間暗号解読機関を作ります。当時の日本の外交暗号は高度ではなかったので、簡単に解読できたようです。1920年から1921年のワシントン軍縮交渉で、日本代表団の通信が全て解読されていたのは有名な話です。1920年代の日本の外交暗号は20種類以上あるのですが、ほとんど解読されていました。