傷ついて騒いでいるのは娘より母のほうだった

ちょっとおおげさに言って診断書を書いてもらおうとされていたのかもしれません。

ただ、話をよく聞いてみると、たしかにその子はいじめられていて、傷ついていないわけではありませんでした。

が、それよりはるかにお母さんが傷ついていたのです。「うちの子がいじめられている」ということに耐えられなかったのでしょう。

お母さんがいじめのことを切々と訴える横で、黙って話を聞いている女の子を見て、私は本当に救うべきは、このお母さんなのかもしれないと思いました。

実際にいじめの渦中にいて困っているのは子どものほうなのに、お母さんが傷ついて騒いでいる。

子どもが「この子はひどい目にあって傷ついているはず」と言うお母さんに振り回されているように私には映ったのです。

苦しみの境界線のようなものが、母子の間であいまいになってしまっている状態です。

また、そのお母さんは診断書を持って学校に乗り込んでいこうとされていて、話を聞いていると、お母さんのほうがやや物事をいろいろと大きく解釈されているように感じました。

これは子どもが大変だなと思わざるをえませんでした。

子どもが苦しんでいると大騒ぎしているお母さんを、とても冷静な目で子どもが見ている様子がとても印象的でした。

子どもが自分と同様に傷ついているとは限らない

もちろん、そのお母さんにはお母さんの価値基準があるし、親としての感情もありますから、自分の子どもがいじめにあったことで、お母さんが傷ついたということを否定するつもりはありません。

お母さんは、わが子がいじめられたことが悲しく、つらかったということは、事実としてあるでしょう。

でも必ずしも、お子さんが自分と同じくらい傷ついているとはかぎらないのです。

自分が傷ついているのだから、子どもも同じように傷ついているにちがいないという発想は、少し冷静になって考え直したほうがいいと私は考えています。

クリニックに来る親御さんは、子どものことでなにかしら不安を持っていますが、中には、親御さんが勝手に(と言ったら怒られるかもしれませんが)不安になっているだけというケースもあったりするのです。

そして、「子どもの問題さえ解決してくれたら、私の悩みなんてなくなるんです」と言っているお母さんに、こう問いかけることがあります。

「その問題は、本当にお子さんの問題ですか?」と。