行田家のタブー
筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。
言うまでもなく、行田さんの夫が育った家庭にはタブーがあった。宗教を盲目的に信仰していた義母は、紛れもなく短絡的思考の持ち主だ。宗教のせいか義母の性格のせいかは定かではないが、義家族は社会から孤立していた。行田さんが知る限りでは、義父は夫が中学生、義弟と義妹が小学生の頃に行方をくらまし、以降はすでに成人していた義兄が一家の大黒柱として家計を支えてきたらしい。行田さん曰く、義母のみならず、夫も義きょうだいたちも皆常識知らずで、年金や健康保険のことを知らなかっただけでなく、最初の頃は夫も、他人に何かをしてもらってもお礼を言うこともなく、食事のマナーも最悪だったという。
夫は行田さんと出会ったことで、徐々に社会性を身に着け、最初の頃は認められなかったものの、ゆっくりだが自分の母親やきょうだいたちの異常性に向き合い、現在は母親やきょうだいたちと距離を置いている。
行田さんは夫と離婚後も連絡を取り合い、子どもたちと夫が一緒に過ごす時間をもうけるよう努めていた。そして離婚から4年後、小学校2年生になった長男が、父親がいないことで同級生からからかわれていたことを黙っていたことが判明。これがきっかけで2人は再婚を決めた。
社会人になってから食事付きの寮生活をしていた夫は、手元に1〜2万円ほど残し、残りの給料をすべて義母に送っていた。おそらくそれが息子として正しいことだと教えられていたのだろう。夫は義母に依存し、義母も夫に依存していた。だからお互いになかなか離れられなかったのだと想像する。そして依存体質である夫と結婚した行田さんも、夫と一緒にいるうちに夫と共依存関係に陥っていたかもしれない。いくらでも夫を見限るタイミングはあったが、それでも不思議なほど別れられなかったのは、共依存関係に陥っていたからではないだろうか。
現在、行田さんは完全に義母や義きょうだいたちを恐れなくなったわけではないが、夫が義母や義きょうだいたちと物理的にも精神的にも距離を置いてくれてからは、家族4人で穏やかに暮らすことができている。機能不全家庭で毒親に育てられた夫にとって、原家族の異常さを目の当たりにしながら、少しずつ行田さんとの生活にシフトしていく過程が、時間はかかったが、そのまま解毒につながったのかもしれない。