イギリスのスポーツの特徴「男らしさ」

ここからは、イギリス・アメリカ・日本のスポーツを比較しながら、それぞれの特徴を浮き彫りにしてみよう。

イギリス発祥の近代スポーツの特徴は「男らしさ」に強くこだわるところだ。

サッカーやラグビーにはオフサイドという反則がある。簡単にいえば、攻めている方向に対してボールの前から攻撃に参加してはいけないのだ。「待ち伏せ攻撃」はオフサイドの最たるものだ。

泥だらけのラグビー選手
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もしも待ち伏せ攻撃が合法だったらその試合はどうなるだろうか。おそらく攻撃側プレーヤーがフィールドのあちらこちらに散らばって球を持った選手からのパスを待つプレースタイルが主流となるだろう。しかしオフサイドを導入すれば、そのような戦術は採用できない。必然的に選手はボールに突っ込んでいかなければならない。さらにはその密集に突進していくことが求められるようになる。

彼らはたとえ怪我をしようが、しゃにむにボールにダッシュしていった。なぜなら、それが男らしさの象徴だったからだ。球から離れて恥をかいたり、汚い行為をする者といったレッテルを貼られたりするわけにはいかなかった。

男らしさへの強いこだわりはボクシングにもみられる。1700~1800年代におこなわれていた初期段階では、階級も十分に制度化されておらず、グローブもなく、殴り殴られるだけの血なまぐさいファイトだった。たとえボクサーが深刻なダメージを受けようとも、本人には試合をやめる権利がなく、帯同しているスタッフが敗北を認めるまで試合は続けられた。

飛んでくる拳を腕でブロックするのは正当な技術だったが、上体を逸らしたりフットワークをつかって避けたりすることは男らしくない卑怯な行為として蔑まれていて、パンチを受けても倒れない屈強さをみせつけたうえで相手を殴り倒すところに醍醐味があった。

現在のスポーツ化されたボクシングを考えれば、男らしさに対する執着は尋常ではなかった。

植民地支配の手段として利用された

イギリス流のスポーツがこれほどまでに男らしさにこだわった理由の一つは、当時の植民地主義を土台にした資本主義にある。1700~1800年代にかけてイギリスが産業革命を成し遂げたことは先述したとおりだが、そのためには属領地から巨万の富を吸い上げることが必須だった。

植民地では、少数のイギリス人が圧倒的多数の現地の人びとを統治しなければならない。抑圧と差別をされ続け、苦難の生を強いられる者たちが、いつ反旗を翻し暴動を起こすかわからない。危険とリスクをともなう現地社会を支配するためには、不屈の闘志が必要だったのである。それを体現し、証明し、修養するための手段の一つとして、スポーツが利用されたのだ。