日本のスポーツ界で「体罰問題」が頻発するのはなぜか。桃山学院大学の大野哲也教授は「本来のスポーツとは『遊び』なのに、日本では『体育』として導入されてしまった。その結果、楽しむことよりも、礼儀を重んじ、努力と忍耐を重ねる規律・訓練に変化した。ここに根本的な原因があるのではないか」という――。

※本稿は、大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)を再編集したものです。

「体罰」と書かれたニュースの見出し
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スポーツの語源は「一時的に離れる」→「遊び」

サッカー、陸上競技、水泳、ゴルフ、登山など、思い浮かべることができるスポーツのほとんどは1700~1800年代にかけてイギリスで誕生した。

単語の“sports(スポーツ)”は、ラテン語の“deportare(デポルターレ)”が変化したものだ。デポルターレは「de(離れる)」+「portare(持つ)」≒「一時的に離れる」という意味を持っていた。それがフランスに入ると「気晴らし」を意味する“desporter(デスポッティ)”となり、さらにそれがイギリスに渡って「遊び」を意味する“disport(ディスポート)”に変化した。その後さらに移行して1800~1900年代にかけて現在の“sports”が一般化していった。スポーツは「一時的に離れる」→「気晴らし」→「遊び」という歴史を持っているのだ。

なぜ「一時的に離れる」が「遊び」へと移り変わったのだろうか。その理由の一つは、1700~1800年代にイギリスでおこった産業革命にある。これによって、ものづくりの方法は職人(とその家族)が朝から晩までコツコツと手仕事で部品をつくり、組み立てる家内制手工業から、巨大な工場を建設し、機械の力で部品をつくる工場制機械工業に変化した。

産業革命で手に入れた「プライベートの時間」

それだけではない。人びとの生き方もドラスティックな変化を経験した。技工は不要になり、工場で働く雇用労働者が誕生したからである。彼らは朝、自宅を出て工場へ向かい働き始める。夕方になるとその日の勤務を終了して家路に就く。工場にいる時だけが労働時間で、そこを一歩でも出れば完全に労働から解放された。家内制手工業では渾然一体となっていた労働とプライベートが分離し、人間は歴史上初めてプライベートの時間を手に入れたのだ。

労働から解き放たれて自由を手にした人びとはなにをしたのだろうか。家内制手工業では、仕事の主導権は職人が握っていた。どのような方法でなにを作ろうが、彼らの裁量に完全に委ねられていた。しかし工場制機械工業になるとそうはいかない。作業のイニシアティブを握っているのは冷徹に動き続ける機械であり、人間はそのペースに合わせて動かなければならなかった。

心を持たないマシンにこきつかわれるわけだから、相当ストレスが溜まったことだろう。その鬱積を発散し、心身ともにリフレッシュするために工場を出て解放された彼らは思い切り遊んだ。そして明日の労働への活力を養い、自分自身の尊厳を取り戻したのだ。

労働から一時的に離れ(deportare)て、気晴らし(desporter)のために、一所懸命に遊んだ(disport)のである。これが“sports”の語源なのだ。