「人は懸賞だけで生きていけるか?」

こうした旅企画の逆パターンと言えるのが、なすびが挑戦した「電波少年的懸賞生活」である。

「人は懸賞だけで生きていけるか?」がテーマ。若手芸人が多数集められたなか、くじ引きで当たりを引いた(つまり、運が強い)なすびがワンルームの部屋に連れていかれ、全裸状態から企画がスタート。

ひたすら懸賞にはがきを送り、衣服から食料まですべて当選賞品だけでまかなわなければならない(食料だけは当初乾パンが番組から支給されていた)。当選品の総額が100万円に達したところでゴールとなる。結局約11カ月かかって目標達成となった。

当たり前だが、そう思い通りに懸賞が当たるわけではない。食料などはすぐにも欲しいがままならない。しかも部屋から出てはいけないので気分転換もできない。

そうした中、なすびは、一心不乱に応募はがきを書き続ける。その枚数は1日平均約200枚。それが少しずつ報われ、当選の品が宅配便で部屋に届く。待望の米などが当たり、なすびが踊る「当選の舞」は嘘偽りのない切実な喜びの感情にあふれていた。

福島県出身のタレントなすびさんが望月義夫環境相を表敬訪問
写真=時事通信フォト
福島県出身のタレントなすびさんが望月義夫環境相(当時)を表敬訪問。東京電力福島第1原子力発電所事故に伴う除染などを伝える番組「なすびのギモン」に出演しており、「福島との架け橋になれれば」=2015年2月6日、東京・霞が関

お笑い芸人がブレークする新たな道に

これらの挑戦には、普通の生活では考えられない過酷さが伴う。当然、一般の素人を起用してやるなどはできない。曲がりなりにもプロである若手芸人を使うことでようやく企画として成立したと言える。

そうだとしても、SNSがこれだけ普及した現在なら、撮影場所の特定などのネタばれ、さらにはコンプライアンスの観点からの批判が容易に想像できる。企画自体、実現しない可能性は高いだろう。

実際、出演した芸人たちが後にインタビューなどで吐露しているように当時追い詰められた心理状態になったことも確かであり、そうした面への配慮はいまや必須だ。

ただ、『電波少年』のドキュメンタリー的演出スタイルによって、お笑い芸人がブレークする新たな道がひらかれたということは言えるだろう。

ネタの完成度や大喜利で見せるセンスの高さだけが芸人の本領ではない。何事にも愚直に必死で取り組む姿が笑い、そして感動を呼ぶタイプの芸人もいる。

その筆頭格である出川哲朗も、『電波少年』シリーズでさまざまなロケ企画に挑戦したひとりだった。番組としては『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)なども、過酷な挑戦企画から芸人の人間的魅力を引き出す路線を受け継いでいるだろう。

その意味で、『電波少年』の残したものは決して小さくない。

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