※本稿は、内田樹『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
人間社会を支えている四つの仕事
天職というのは、必死にキャリア形成をして身につけるものではない。そうではなくて、気がついたらいつの間にかその道のプロになっていたという仕方で人は天職に出会うのである。特にその傾向が強いのは教育者と医療家である。この二つの職業を天職だと感じる人の数はどんな集団にも一定数必ずいる。二つとも集団が生き延びるために絶対に必要な職業だからである。
人類が集団として生きていくために絶対必要な仕事がいくつかあるが、基本的なものは四つだと私は思う。その四つのピラーで人間社会は支えられている。
第一は「物事の理非を判定する仕事」である。あらゆる集団はその内部で起きたトラブルについて、正否の裁きを下す人を求める。長老や智者がその役を引き受けることもあるし、力が強い者がその仕事をする場合もある。
第二が「癒やす仕事」。病気や怪我を治す医療者である。
第三が「教える仕事」。次の集団を担う若者たちに必要な知識や技術を教えて、その成熟を支援する仕事である。
第四が「祈る仕事」。宗教である。人々に「この世ならざる異界」のことを教え、それとの応接の作法を教え、死者を供養する仕事である。
「裁く」「癒やす」「教える」「祈る」で人間集団は成立している
集団が存立するためにはこの四つのピラーが必要不可欠であると私は思っている。基本動詞として言い換えれば「裁く」「癒やす」「教える」「祈る」になる。この四つの基本動詞で人間集団は成立している。それなしでは集団は維持できない以上、それぞれの仕事に心的に惹かれる人たちが必ずいるはずである。
どんな集団にも「癒やし系」の人たちはおそらく全体の7~8%はつねにいると思う。「ものを教えることが好き」という人はもう少し多くて、おそらく全体の10%くらいはいると思う。もちろん、この10%の人たちが全員教師になるわけではない。違う仕事に就いていても、何かのもののはずみの時に「ちょっと教師の仕事代わってくれるかな」と頼まれた時に、「あ、いいですよ」と即答してしまう。なんだか自分でもできそうな気がして。