おもしろい作品とつまらない作品の違いは何か。NHK Eテレの特撮テレビドラマ『TAROMAN』を手掛けた映像作家の藤井亮さんは「『こうすればウケるんでしょ』という浅はかな意図でつくると、見ている人は白けてしまう。僕が大切にしているのは、『他人から見たら変なことを、大まじめにやる』ことだ」という――。

※本稿は、『ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

「現場ウケ」を狙ってはいけない理由

おもしろ映像を撮っていると、よく「撮影現場もさぞかし愉快なんでしょうね」と思われがちなのですが、僕の撮影現場はさほどおもしろおかしい場所ではありません。むしろ、現場スタッフのウケをあまり信用しないように気をつけています。

僕自身が、映像を見ているときに内輪の盛り上がりが垣間見えると冷めてしまうことが多く、そうならないようにしたいという気持ちが強いのかもしれません。そういう映像を見ると、なんだか自分が蚊帳の外にいるようなネガティブな気持ちが生まれてしまうのです。

あくまでも僕らの目的は、映像を見た人がおもしろいと思ってくれること。だから、現場の内輪ノリで一人よがりな“おもしろさ”に陥ってはいけないと考えています。ここは、僕が思う「映像がなぜおもしろいと感じられるのか」という創作論にも繋がってくるので、丁寧に説明しましょう。

「まじめに」と頼んで俳優に怒られることも

僕が好きなおもしろさは、「登場人物たちは至って真剣にやっているのに、それを外から見ると、彼らのまじめさが滑稽に見える」というものです。

だから演者の方々にもまじめな演技を求めます。しかし、演者は作っているものがおもしろ映像だと知ると、わざとコメディっぽいおどけた表情や演技をしがちです。「ここはまじめにやってほしいです」と伝えても、なかなかわかってもらうのは難しい。

あるときは、変顔を抑えてほしいと頼んだ俳優さんに「(某有名監督)さんの現場ではこの演技で褒められた! 現場のスタッフみんなも笑っているじゃないか!」と怒られたことすらあります。