中学受験では子どもたちが抑圧されている面がある

【加藤】学校での文学離れは、今後どのような問題を生じさせると思われますか。

【井上】個人の体験や具体的な経験をないがしろにする風潮に拍車をかけるのではないかと危惧しています。ある人にしかわからない体験など、客観性がないのだからどうでもいい、という風潮が生まれてくるのではないかと。

灘校でも時折、自分の具体的な体験をプレゼンしたり、言語化したりするような場面で、「何の意味があるの?」という反応をする生徒がいます。中学受験では、「あなた自身がどう考えるかは問題ではない」と子どもたちが抑圧されている面があります。筆者が言っていることをかいつまんで説明しなさいとか、これを書いた人の視点に立って答えなさい、といった設問が多いために、子どもたちからすれば「あなたの意見はどうでもいい」と遠回しに言われているように感じるのではないでしょうか。

【加藤】「それってあなたの感想ですよね」といった物言いが小学生の間で流行っているそうですが、ただでさえ日本語では主語が省略されやすいのに、ますます「あなたはどう思う?」というやりとりをしなくなる、ということでしょうか。

子供の勉強
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世界と対等にわたり歩ける子が育つのか

【井上】何かを主張するときに、個人の体験ではなくて客観的な事実やデータに基づいていないと誰も納得しない、というのは怖いですよね。ひるがえって、海外の大学を受験するときには、「あなたは何をしてきたのですか?」と個人の体験を聞かれます。このギャップは大きいです。

【加藤】そうですね。「あなたについて説明してください」というように。

【井上】私も個人の体験として、世界と対等にわたり歩けるのかという危機意識を持っています。灘校には海外大学に進学する生徒もいますので。

【加藤】そう考えると、日本の教育は海外の教育のありようと真逆と言えるのでしょうか。

【井上】少なくとも文学より「実用性」という面はぬぐえないと思います。評論に慣れすぎてしまうと、客観性ばかりを重視するようになります。すると、それこそ随筆やエッセイのように、体験から始まってそこでの気づきで話を落とすような文章などは、よほど意識的に指導しないと書けるようにはなりません。