※本稿は、井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信社)の一部を再編集したものです。
文学作品を扱いづらいカリキュラムになった
【加藤】最近では「とにかく子どもが文学を読みたがらない」と悩む保護者も多くいらっしゃいます。そうなると、学校の教科書や塾の問題は、文学を読む機会を提供してくれる最後の砦にも思えます。そもそも保護者自身が本を読まなくなっていますよね。
【井上】もっと言えば、今、文学離れに拍車をかけるかのように、学校の授業でもなかなか文学作品を扱えないようなカリキュラムになっているんです。
【加藤】そうなんですか?
【井上】高校の話になりますが、2022年4月から始まった高校の新学習指導要領では、「現代の国語」で評論文を、「言語文化」で小説と詩歌、古文、漢文のすべてを扱うことになりました。しかし授業はそれぞれ週に2回ずつです。入試対策としては古文と漢文は譲れません。すると、いつ文学をやるのか、という問題が浮上します。
【加藤】古文や漢文の読み方のルールを教えるだけでも大変ですよね。
【井上】それだけで手一杯です。高2と高3の選択科目に「論理国語」と「文学国語」「国語表現」「古典探究」の4つの科目があります。多くの学校ではこれらの中から2つほど選びますが、大学入試の出題順を考えたら、日本の場合は当然、評論を読まなければなりません。もし選択科目で「論理国語」と「古典探究」を選んだ場合、高1の「言語文化」の中で、文学と言えば『羅生門』を1年間のどこかで読むのが精一杯で、高2と高3では文学は何も読まないまま卒業してしまうということが起こります。
海外の国語では基本的に「文学」を扱っている
【加藤】『羅生門』もそろそろ古典の領域になりそうです。
【井上】行政としては、「『文学を軽視する』とは誰も言っていません。文学を選ばなかったのだとすれば、そちらの学校の判断でしょう」という理屈です。しかし現実には物理的にやる時間がないので、教育の現場としては悲鳴を上げざるを得ません。
それでも私立の場合は、高1でやることを中3と高1の2年間をかけてできるのでまだいいですが、公立の場合は手一杯です。これでは私立と公立の格差が広がる一方です。
【加藤】海外ではどうなのでしょうか。
【井上】IB校(国際バカロレア認定校)も含めて、海外の国語は基本的に文学を扱います。説明的文章を「論理国語」という科目名に収めて実施しているのは日本くらいです。たとえば科学論は理科の授業で、歴史学の本は社会の授業で扱えばいいはずです。国語の授業で独立した科目として評論を読むというのは日本特有の文化なのです。