父親がアルコール依存症に

犬塚さんが高校生になった頃、父親が勤める釣り用品の会社の経営が傾いた。そのため父親は、同年代の同僚たちと一緒に早期退職を決めた。

ところが、再就職のために就職活動を始めた父親だったが、思うように仕事が決まらない。決まっても馴染めなかったり気に入らなかったりするのか、すぐに辞めてしまい、長く続かない。

もともとお酒好きだった父親は、家にいる時間が長くなると、飲んでいることが増えていった。

「家にあればあるだけ全部一度に飲んでしまい、足りなくなったら近所で買い、また飲んでクダを巻いていました。母と一緒に何とか布団に寝かせても、私たちの文句などをグダグダ言っていて、いつの間にかそれがイビキに変わる……という毎日。暴力はありませんでしたが、口が達者で、人を嫌な気持ちにさせるようなことを言うのが本当に上手でした。若い頃は、本気で大嫌いでしたね」

困り果てた犬塚さんたちは、家にあるお酒をすべて処分した。だが、家になければ買いに行けばいい。父親はパックの日本酒を買いに行っては外で飲んで、何食わぬ顔をして帰って来た。

「父は、日本酒の紙パックをご丁寧に、ペッタンコに潰してから道に捨てる癖があって、私たちには父が飲んだものだとすぐにわかるんですよね。道端で見つけるたびに怒りが湧きました」

夜中まで一人でお酒を飲みながら怒鳴ったりしていることも多く、なかなか眠れない日もあった。そうかと思うと朝方暗いうちから起きてお酒を飲んでいることもあり、庭からグダグダ言う声が聞こえてきたときは、母親と2人で慌てて家の中に引きずりこんだこともあった。

ビールのボトル
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そんな日がしばらく続いた後、父親は突然嘔吐を繰り返すようになり、数日間食事もままならない状況が続く。

このときはさすがの父親も、「もう、酒はやめた」と言ったが、体調が戻れば元の木阿弥だった。

「母は生活のためもあったと思いますが、父と2人で家にいるのが嫌だというのもあって、パートを続けていたのだと思います。基本的に母はおとなしい人ですが、夫婦喧嘩をして父が『出ていけ!』と叫んだりすると、『この家は私も働いてお金を出して買ったんだ。半分は私のものだ』と言って、負けませんでしたね。でも、あんまり父が荒れてくると、『今日こそ母が、父を殺して心中でもしているかもしれない』と心配になり、帰宅を急いだこともありました」

いつしか犬塚さんは、父親がどんなに「飲んでいない」と白を切っても、家の玄関ドアを開けた途端に飲んだか飲んでいないかがわかるくらい、アルコールの臭いに敏感になっていた。

「父方の叔父さん(父親の弟)が時々遊びに来るのですが、毎回お酒をお土産に持ってくるので心底恨みました。あと、お正月は堂々とお酒が飲めてしまい、毎年三が日を過ぎてもひどい状態がしばらく続くため、お正月が大嫌いになりました。それでも母も私も切り替えが早いのか慣れなのか、父と大喧嘩した後でも、父のイビキが聞こえてくればテレビを見ながら笑っていて、我ながらたくましいなと思いました」