貯金が底をつきそうになり実家に戻る

姉は短大に進学したが、犬塚さんは高校を出て印刷会社に就職し、実家を出て一人暮らしを始めた。

「姉とはタイプが違うので、“ベッタリ仲良し”ではなかったですが、仲は悪くありませんでした。姉は就職するまでバイトもせず、もらったお小遣いでやり繰りし、文句ひとつ言わなかったのですが、私は高校生の頃からいろんなアルバイトをして、交際費や洋服代をどんどん稼いでいました。母が作ってくれたお弁当に対しても、ケチを付けたり、自分で作ったりしましたが、姉はどんなお弁当でも『美味しかったよ。ありがとう』と言うような子でしたね」

姉は20代後半になると、結婚して実家を出て行った。一方、その頃仕事を辞め、貯金が底をつきそうになっていた犬塚さんは、姉と入れ替わるような形で実家に戻ることに。

当時、50代の父親はホームセンターの仕事に落ち着き、母親は変わらず工業団地のパートに出ていた。しばらくして犬塚さんは就職先が決まったが、もう実家を出なかった。

「仕事が落ち着いたとはいえ、父は相変わらずお酒を飲んではクダを巻いていましたから、そんな父と2人の生活じゃ母がかわいそうだと思ったことが、実家を出なかった大きな理由です」

父親は65歳でホームセンターの仕事を定年退職した。

初めての救急車

その後、しばらくたった2012年1月。82歳になった父親は常に胃の調子が悪く、胃薬が手放せなくなっていた。この頃にはすでに歩くときには杖を使い、下着は「軽失禁用パンツ」では間に合わず、リハビリパンツ(上げ下げするだけで簡単に着脱できるおむつ)を併用していた。

そのうえ宮城県出身の父親は、前年にあった東日本大震災の精神的ショックが大きかったらしく、以降、たびたび胃の調子を崩しては嘔吐するように。

それでもこの年代の男性に多いように、父親も類にもれず病院嫌いだった。犬塚さんが何度「行こう」と言っても断固拒否。何とかして連れて行こうと画策していたある晩、浴室のほうから「どーん!」という大きな音が家中に響き渡る。慌てて見に行くと、入浴中の父親が洗い場で倒れて唸っていた。

「救急車! 救急車!」

慌てる犬塚さんに、父親は「呼ぶな」と力なく言ったが無視。救急車が到着した頃、母親が裸の父親に下着を着せようと苦心していた。瞬時に救急隊員は、「動かさないで!」と鋭く注意。犬塚さんは母親に留守を頼み、救急車に乗り込んだ。

救急車
写真=iStock.com/Martin Dimitrov
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「昔からアル中で、飲んでいてもいなくても暴言ばかり。性格の悪い父を、私は長年嫌い、軽蔑していました。でも『こんなふうに終わるのね』と思うと哀れみのような気持ちが湧いてきました」

救急車の中で犬塚さんはぼんやりと、父親が早期退職してからの10数年を思い返していた。

病院に到着すると、父親はさまざまな検査を受ける。

「脳のCTも心臓も問題ありません。貧血を起こしたのでしょう。点滴が終わったら帰って大丈夫です」

結局点滴のみで帰された。